王 光(おう こう[1]生没年不詳)は、前漢武帝紀元前108年朝鮮半島に設置した植民地である楽浪郡楽浪太守の「太守掾」である。「太守掾」は楽浪太守直属の官僚であり、土着中国系貴族の最高位である[2]

王 光
各種表記
漢字 王 光
日本語読み: おう こう
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概要 編集

王光は、朝鮮民主主義人民共和国平壌特別市楽浪区域貞柏洞で1932年10月に出土した貞柏里127号墳(王光墓)の被葬者である[1]。王光墓は、平面正方形の同穴合葬木槨墓であり、は、天井上部に二重に敷かれ、上・下層ともに塼を平行に並べている。凹凸塼は使用されておらず、長側面に文様もない。塼の厚さ/長さの値は 0.19から0.15であり、比較的厚めの塼が用いられている[3]。出土した鏡は異体字銘帯鏡方格規矩四神鏡であり、異体字銘帯鏡の出現時期は紀元前後までさかのぼるが、方格規矩四神鏡は1世紀中葉であることから、王光墓の築造年代は1世紀代と推定される[3]。西棺内からは「楽浪太守掾王光之印」「臣光」銘両面木印が出土し、楽浪郡の最盛期における上位階層の墳墓と推定された[3]

王光墓は、地下に木組みの室をつくり、そのなかへ王光とそのとが、丁重に葬られていた[4]

脚注 編集

  1. ^ a b 世界大百科事典王光墓』 - コトバンク
  2. ^ 早乙女雅博『朝鮮半島の考古学』同成社世界の考古学〉、2000年7月1日、105頁。ISBN 4886211968 
  3. ^ a b c 高久健二『楽浪・帯方郡塼室墓の再検討 : 塼室墓の分類・編年・および諸問題の考察』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉、2009年3月31日、182頁。 
  4. ^ 田辺昭三『謎の女王卑弥呼―邪馬台国とその時代』徳間書店、1968年、59頁。 

参考文献 編集