王素

418-471, 南朝宋の隠者

王 素(おう そ、418年 - 471年)は、南朝宋隠者は休業。本貫琅邪郡臨沂県

経歴 編集

平固県令の王元弘の子として生まれた。貧家に生まれて老母に孝事した。はじめ廬陵国侍郎となったが、母が死去したため、辞職して喪に服した。喪が明け、廬陵王劉紹江州刺史となると、親しい人に旧居を修理して住むよう勧められたが、王素はそれを断った。単身で東陽に赴いて、隠居して仕えず、田園を経営して自立の生活を送った。文章を愛好したが、あまり人づきあいをしなかった。孝武帝が即位すると、太子舎人として召されたが、就任しなかった。大明年間、江夏王劉義恭に太宰倉曹属として招かれたが、赴かなかった。泰始6年(470年)、明帝に太子中舎人として召されたが、やはり就かなかった。山中に住むヤスデの声を好んで、人に聴かせたがったが、その形が醜く嫌われたため、「蚿賦」を作って宣伝につとめた。泰始7年(471年)、死去した。享年は54。

伝記資料 編集