琳瑞(りんずい、文政13年10月27日1830年12月11日) - 慶応3年10月19日1867年11月14日))は、幕末期の浄土宗の僧。父は細谷守福。名は房蔵。号は静岳・真空・祥道・道真。出羽国村山郡の出身。

12歳で父を失い、17歳で陸奥国伊達郡桑折の無能寺で出家し、琳瑞と号した。1849年嘉永2年)江戸に出て、僧侶の風紀粛清を期して小石川伝通院の処静院に住した。また、儒学東条一堂に師事して儒学を学び、高橋泥舟山岡鉄舟など多くの志士と交流した。水戸藩徳川斉昭に私淑し、尊皇攘夷の大義を主唱した。1863年文久3年)幕府側に暗殺された清河八郎の遺骸を託され、伝通院内に埋葬している。しかし1867年(慶応3年)10月18日、刺客に襲われ、翌日に死去した。