瑩珠院(けいしゅいん、1654年5月21日承応3年4月5日) - 1692年11月26日元禄5年10月19日[1])は、江戸時代前期の女性。尾張藩第3代藩主・徳川綱誠正室。父は広幡忠幸。別名は新君(にいぎみ)。

生涯 編集

権中納言広幡忠幸の長女として生まれる。母は正室の京姫で、尾張藩初代藩主である徳川義直は祖父にあたる。1667年寛文7年)9月26日、尾張藩第3代藩主・徳川綱誠の正室となる[2]。しかし綱誠との間には子どもはできなかった。

1692年元禄5年)、死去。また神奈川県伊勢原市浄発願寺の奥ノ院には瑩珠院の遺髪を納めた宝篋印塔が建立されている[3]

脚注 編集

  1. ^ 『徳川諸家系譜』第2巻(続群書類従完成会、1974年)p.201
  2. ^ 尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。
  3. ^ 浄発願寺奥ノ院”. いせはら文化財サイト. 2023年5月18日閲覧。