古代中国を発祥とする、米などを蒸すための土器

(こしき)は、古代中国を発祥とするなどを蒸すための土器とも。竹や木などで作られた蒸籠と同じく蒸す調理のために用いる[1]

調理 編集

甕(かめ)など湯を沸かす器具とともに用いる[1]。甑の内部の底にすのこざる、布などを敷き、その上に米などの調理物を入れる[1]。これを湯を沸かす甕の上に乗せて調理を行う[1]

歴史 編集

中国では河姆渡遺跡などから出土しており、新石器時代には利用が認められている。龍山文化の頃になると甑と鬲を融合させた土器()なども出現した。

日本では古墳時代中期(5世紀頃)までには渡来人によって朝鮮半島から伝来した[1]。ただし、甕(かめ)に比べて甑の出土量が少ないため、米の調理法が蒸す方式に移行したと考える研究者は少なく、蒸す調理法はお祭りやお祝いなど特別のとき(を作るときなど)のみに行われたと考えられている[1]。甑の形状は時代とともに変化し、5世紀頃の甑には複数の穴が開いていたが、6世紀から7世紀頃の甑は大きな穴が一つだけになり、底部に簾やざる、布などを敷いて米を入れるようになったため改良されたものとみられている[1]

甑炉 編集

古来からある日本独自の溶鉄炉に「こしき炉(甑炉)」があるが、これは前述の甑と形容が似ていた事に由来する[2]キューポラを参照)。

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g 「甑・甕」九州歴史資料館 飛び出すむかしの宝物 解説シート 九州歴史資料館、2021年2月16日閲覧。
  2. ^ 菅野利猛. “世界文化遺産、韮山反射炉の10大ミステリーを解く”. 2020年5月15日閲覧。

関連項目 編集