田所 清広(たどころ きよひろ、1956年2月8日 - 2010年7月6日)はJRA栗東トレーニングセンターに所属していた騎手調教師大阪府出身。妻の父は田所稔元調教師、妻の叔父は田所秀雄元調教師、妻の従兄弟は田所秀孝調教師である。旧姓は佐野

来歴 編集

1974年、3月に栗東・上田三千夫厩舎所属で騎手デビュー。

1986年小倉記念をヤクモデザイヤーで制し重賞初勝利を挙げる。

1990年、6月に栗東・田所稔厩舎所属となるも、7月にフリーとなる。

1993年、2月に騎手を引退し、ふたたび上田三千夫厩舎に所属し調教助手となる。騎手成績はJRA通算2702戦206勝。

1996年、2月に調教師免許を取得する。

1997年、厩舎を開業。3月8日、初出走となった中京競馬場での第3レースは、サムライオーが9番人気で13着となる。5月10日京都競馬場での第6レースで3番人気だったファンドリオボッコが勝利し、のべ27頭目で初勝利を挙げる。

1999年マーチステークスをタヤスケーポイントが制しJRA重賞初勝利を挙げる。

2010年7月、病気のため死去。54歳没[1]

おもな騎乗馬 編集

  • ヤクモデザイヤー(1986年小倉記念)

おもな管理馬 編集

おもな厩舎所属者 編集

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

  • 岡冨俊一(2000年-2003年 騎手、2003年-2010年 調教助手)
  • 田島信行(2000年-2002年 騎手、2002年-2010年 調教助手)
  • 武英智(2005年-2006年 騎手)

出典 編集

関連項目 編集