畠山円耀

鎌倉時代の武士、僧侶

畠山 円耀 (はたけやま えんよう、生没年不詳)は、鎌倉時代武士僧侶畠山重忠の末子。子に畠山次郎重氏

考証 編集

畠山重忠の乱で死去した父・重忠の菩提を弔うために出家した[1] 慈光寺埼玉県ときがわ町)の別当で23代目住職を務めた[1][2]。なお畠山重忠の乱から8年後に兄(或いは弟)である重慶は謀反の疑いがかかって長沼宗政に殺されたが、その兄弟である円耀に疑惑は及んでいない。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『都幾川村史資料』 1900, p. 145.
  2. ^ 各地に残る重忠の伝承”. 2022年9月16日閲覧。

参考文献 編集

  • 『都幾川村史資料』(都幾川村、1900年、145p)

外部リンク 編集