白井 透(しらい とおる、1943年[1] - )は、日本競馬評論家、競走馬の血統研究家。サラブレッド血統センター創業者[1][2]

経歴 編集

父・白井新平は、戦前からアナキズム系の活動家として知られるとともに、1938年競馬週報社を設立し、今日の日本の競馬新聞で標準的なものとなっている馬柱などの表現を創出した人物であった。弟・白井民平は馬術選手として活躍した後、北海道日高町で牧場経営者となった[注釈 1]

このように競馬一家であった白井家に生まれた透は、早稲田大学政治経済学部卒業後、1967年にサラブレッド血統センターを設立し、1971年に『競馬四季報』(関東版)を創刊したのをはじめ、競馬・血統関係の出版事業に従事した[注釈 2]

1990年に、サラブレッドの血統を記録した基礎資料『Family Tables of Racehorses』の第III巻を出版し[2]JRA賞馬事文化賞を受賞した[1]

2004年、JRA創設50周年特別功労賞を受賞[1]

2004年に、高知競馬で話題となったハルウララ移送問題が起きた際には、馬主側に立ってこの件に関与した[3]

おもな著書 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 民平の長男で、透の甥にあたる白井岳アトランタシドニーのオリンピックで馬術の日本代表となった後、白井牧場の経営を引き継いでいる。
  2. ^ その後、1990年代に、サラブレッド血統センターの経営権を手放している。

出典 編集

  1. ^ a b c d 白井透プロフィール 「スポーツ競馬」主宰者プロフィール”. スポーツ競馬. 2011年11月23日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b 村岡和彦「今月の顔 白井透 世界の競走馬四十代の血筋を追う「大著」執念の出版」『月刊Asahi』第2巻第6号、29頁。 
  3. ^ 野元賢一 (2004年9月21日). “専門記者の競馬コラム 祭りは終わった ハルウララの移送を巡って”. 日本経済新聞. 2011年11月23日閲覧。

参考文献 編集

  • 江面弘也『活字競馬に挑んだ二人の男』ミデアム出版社、2005年。ISBN 978-4902160352