白湖集』(はくこしゅう、朝鮮語: 백호집)は、李氏朝鮮時代の異端の文臣文人である林悌が著した詩文集[1]1621年刊行[1]

白湖集
各種表記
ハングル 백호집
漢字 白湖集
日本語読み: はくこしゅう
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概要 編集

林悌は、歴史上、長城外の四夷だけでなく、西南のチベット吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらなく、朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみである、と慷慨し、「四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない」という言葉を残して悲嘆にくれ[2][3]、死の床で息子たちの面前で「中国をはばかり帝国と称しえない朝鮮などに生まれたのは痛恨事だから、自分が死んでも泣いてはならぬ」と遺言して死んだ[4][5]。このようなエピソードのため、当時の李氏朝鮮の人々は林悌を奇異な人物と評価した。しかし、当時の世相の評価とは関係なく、林悌の文集である『白湖集』は文学として高く評価されており[5]、作品は、社会を風刺する手法を採り入れており、社会に対する不満・鬱憤、政治権力の矛盾の暴露、悲憤の気持ちが貫かれている[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c “백호집(白湖集)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0022458 2022年7月17日閲覧。 
  2. ^ 林濬哲 北京大学比較文学與比較文化研究所招聘学者 (2005年). “조선중기 漢詩에서의 典型 意象의 계승과 美感의 확충(Ⅱ)”. 語文硏究 제33권 제3호(2005년 가을): p. 358. オリジナルの2018年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180304113203/http://www.hanja.re.kr/kles/kePaper/prcDwnPaper.asp?idx=1902. "李瀷「星湖僿説」卷九, 「人事門」, 국역 성호사설(1976), pp.22~23. 「善戲謔」, “林白湖悌, 氣豪不拘檢, 病將死, 諸子悲. 林曰,‘四海諸國, 未有不稱帝者, 獨我邦終古不能, 生於若此陋邦, 其死何足惜.’命勿哭. 又常戲言,‘若使吾値五代六朝, 亦當爲輪遞天子.’ 一世傳笑.”" 
  3. ^ 黄文雄『もしもの近現代史』扶桑社、2013年8月31日、72頁。ISBN 978-4594068738 
  4. ^ 世界大百科事典林悌』 - コトバンク
  5. ^ a b “임제(林悌)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0047637 2022年7月17日閲覧。