目羅博士

江戸川乱歩による日本の小説

目羅博士』(めらはかせ)は、江戸川乱歩の著した短編小説である。『文芸倶楽部1931年(昭和6年)4月増刊号に掲載された。初出時の題名は『目羅博士の不思議な犯罪』(めらはかせのふしぎなはんざい)。

題名 編集

本作は数度の改題を経ている。

初出時は『目羅博士の不思議な犯罪』だったが、『目羅博士』(緑十字出版、1946年5月)に収録された際に『目羅博士』と改題、『灰神楽』(鼎出版社、1947年7月)に収録された際に『目羅博士の不思議な殺人』と再改題、春陽文庫版『鏡地獄』(春陽堂書店、1951年2月)で初出時の題に戻されたのち、桃源社版『江戸川乱歩全集』第10巻(1962年6月)で、「長すぎる」という乱歩の意向で『目羅博士』となった。桃源社版全集以後は『目羅博士』が用いられているが、光文社文庫版『江戸川乱歩全集』(2004年6月)では初出時の題名で収録されている[1]

あらすじ 編集

語り手の江戸川は、上野動物園で巧みに檻の中のをからかう「男」と出会う。「男」は江戸川に、猿の人真似の本能や、「模倣」の恐怖について語る。

動物園を出た後、上野の森の捨て石に腰をかけ、江戸川は「男」の経験談を聞くことにした。

登場人物 編集

江戸川
探偵小説家。上野動物園ルンペン風の男と知り合う。
「男」
ルンペン風の男。江戸川に自らの経験談を聞かせる。

「男」の経験談に登場する人物 編集

目羅博士
貸事務所で目羅眼科を開業する医学博士
香料ブローカー
「男」が玄関番を勤めるビル5階北の端の部屋に住んでいたが、首吊り自殺する。
「次の部屋借り人」
香料ブローカーが住んでいた部屋の次の借り手。香料ブローカーと同じく首吊り自殺する。
事務員
ビルの事務員。同じ部屋で首吊り自殺が相次いだため、試しに寝泊りするようになる。3人目の縊死者となる。

先行作品との関係 編集

本作の、ビルの同じ部屋(貸事務所)に滞在した人間が、全く同じパターンで次々と謎の縊死を遂げる、という展開については、類似した先行作品が存在する。

乱歩自身は、ハンス・ハインツ・エーヴェルス英語版の短編『蜘蛛』(Die Spinne“, 1908)を下敷きとした作品だと述べている[2][3]。ホテルの同じ部屋に泊まった人間が次々と謎の縊死を遂げる、という基本的な筋書きや、「模倣」が事件の謎にかかわってくる点など、『目羅博士』と類似点の多い作品であるが、結末は異なっている。ミステリ評論家の新保博久は、『新青年』1928年2月増刊号に掲載された翻訳を参照したものと推定している[4][5]

ただし、『蜘蛛』自体も、発表当初からエルクマン=シャトリアン英語版の短編『見えない眼』(≪ L'œil invisible ≫. 短編集 Contes fantastiques, 1857 所収)の盗作という疑いが指摘されており[6]、さらに、『目羅博士』は『蜘蛛』よりもむしろ『見えない眼』の方に似ている、とする指摘がある[7][8]。新保博久は、『見えない眼』は日本では平井呈一によるアンソロジー『こわい話・気味のわるい話』(1974年)で初めて紹介された作品であり、『目羅博士』と『見えない眼』の類似は偶然の一致だと主張している[5]。しかし、翻訳家の小林晋は、『見えない眼』には早くから英訳があり、さらに日本語訳も『目羅博士』より前の1926年に出されている[9]ことを指摘し、『蜘蛛』というのは乱歩の勘違いで、実際に下敷きにしたのは『見えない眼』の方なのではないか、としている[10]

なお、牧逸馬の『ロウモン街の自殺ホテル』[11](初出『婦人公論』1931年5月号・6月号、のち『世界怪奇実話』に収める)は、1906年パリローモン通りフランス語版のホテルで実際に起こったとされる事件を描いた犯罪実録だということになっているが、ホテルの同じ部屋に泊まった人間が次々と謎の縊死を遂げる、という、本作および『蜘蛛』『見えない眼』によく似た筋書きが展開される。新保博久は、1906年のこの事件が、1908年発表の『蜘蛛』の元ネタになった可能性を指摘している[5]。いっぽう、古典SF研究家の會津信吾は、「ロウモン街の自殺ホテル」は Harry Ashton-Wolfe, Warped in the Making: crimes of love and hate, 1927 (OCLC 892921) を粉本としているが、事件の真犯人とされる人物についてはこの著作以外に記録がなく、事件そのものが実話を装った創作の疑いがあることを指摘している[12]

収録 編集

脚注 編集

  1. ^ 新保博久「解題」『江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪』光文社〈光文社文庫〉、2004年、716頁。 
  2. ^ 江戸川乱歩「怪談入門」『江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城』光文社〈光文社文庫〉、2003年、314-315頁。 
  3. ^ 江戸川乱歩「桃源社版『江戸川乱歩全集』の「あとがき」より」『江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪』光文社〈光文社文庫〉、2004年、42頁。 
  4. ^ 新保博久「お楽しみ乱歩カタログ」『江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪』光文社〈光文社文庫〉、2004年、764-765頁。 
  5. ^ a b c 新保博久「乱歩輪舞――江戸川乱歩の連想と回帰」『ハヤカワミステリマガジン』第59巻、第8号、2014年8月。 
  6. ^ 許光俊『邪悪な文学誌――監禁・恐怖・エロスの遊戯』青弓社、1997年3月3日、88頁。 盗作だとする抗議に対し、エーヴェルスは「すぐに新聞に釈明を発表し、彼は『見えない目』を読んでいないこと、しかし、どちらの作品も同じ事件をもとにしているのは確実であると述べた」という。
  7. ^ 許光俊『邪悪な文学誌――監禁・恐怖・エロスの遊戯』青弓社、1997年3月3日、81頁。 許は、目羅博士という名前も『見えない眼』という題名から連想されたものではないか、と推測している。
  8. ^ 野村宏平 著「解題」、森英俊; 野村宏平 編『乱歩の選んだベスト・ホラー』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2000年。 
  9. ^ エルクマン・シャットリアン 著、木村信児 訳「見えざる眼」『世界短篇小説大系 探偵家庭小説篇』近代社、1926年。 
  10. ^ 小林晋 (2014年8月1日). “江戸川乱歩「目羅博士の不思議な犯罪」の謎”. 2016年6月12日閲覧。
  11. ^ 『ロウモン街の自殺ホテル』:新字新仮名 - 青空文庫
  12. ^ 会津信吾 (2010年2月). “切り裂きジャックに会った男”. 2016年6月12日閲覧。

関連項目 編集

  • 島田荘司 - 本作のオマージュを意識して書かれた短編『死聴率』(1985年)がある。
  • 竹本健治 - 本作の続編を意識して書かれた短編『月の下の鏡のような犯罪』(1987年)がある。

外部リンク 編集