相良 長泰(さがら ながやす、文明5年(1473年) - 長享元年(1487年))は、戦国時代の武将。父は相良頼泰で、その嫡男。祖父は肥後国相良氏11代当主・相良長続。幼名は松尉丸。通称は権五郎。

 
相良長泰
生誕 文明5年(1473年
死没 長享元年(1487年
別名 幼名:松尉丸、通称:権五郎
主君 相良為続長毎
氏族 相良氏
父母 父:相良頼泰
兄弟 長泰長弘、女(北原茂兼室)
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第12代当主・相良為続の近習として仕えていたが、長享元年に父の頼泰が、長泰の器量が優れている事から相良氏を相続させようと謀り、奉行の佐牟田上野、吉牟田孫左衛門らと密約を交わした。それが為続の子・相良長毎の知るところとなり、すぐさま成敗の命が下された。

頼泰は原城[1]下原(人吉城内)の館で殺害され、長泰も在所であった八代にて殺害された。なお弟・松千代丸(後の長弘)も兄と共にいたが、幼いということで助命された。

享年15。法名は「賀呈道慶」。

脚注 編集

  1. ^ 長崎県にある同名の城ではなく、人吉城の裏にある地名。人吉城よりも前に存在した旧城址の名前が原城である。

参考文献 編集