石井正善

日本の騎手 (1947-1969)

石井 正善(いしい まさよし、1947年4月7日 - 1969年9月24日)は、日本中央競馬会に所属した騎手千葉県芝山町出身。

来歴 編集

騎手を目指して1965年馬事公苑の長期騎手課程第15期生として入苑した。のちに9年連続のリーディングジョッキーとなり「天才」と称される福永洋一を始め、岡部幸雄柴田政人伊藤正徳らがおり、のちに「馬事公苑花の15期生」と称される事となる同期生とともに講習を受けた。

石井は、同期生のなかでは岡部・柴田とともに1967年3月に騎手免許を取得し、関東地区で騎乗を開始した。しかし成績が伸びず、心機一転を図るため1968年中京競馬場所属の諏訪佐市厩舎に転厩し、関西地区で騎乗することになった。

1969年9月6日阪神競馬場でのサラ系障害未勝利戦において、ダテストレイトポロに騎乗、最初の障害で飛越に失敗して落馬し、頭部を強打して昏睡状態に陥った[1]。直ちに関西労災病院に搬送され治療を行ったが、その甲斐もなく9月24日に死去した。22歳没。

参考文献 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ この競走には、同期の丸山雅夫と日高三代喜も騎乗しており、石井の落馬に気付いた2人は、ショックを受けながらも最後まで完走した。