石川 康次(いしかわ やすつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将石川数正の三男。通称は半三郎。受領名紀伊。兄に康長康勝

 
石川康次
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 生年不詳
死没 没年不詳
別名 通称:半三郎、紀伊守
官位 紀伊守
主君 豊臣秀吉徳川家康
氏族 三河石川氏
父母 父:石川数正
兄弟 康長康勝康次
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略歴 編集

豊臣秀吉馬廻衆として仕える。

文禄元年(1593年)、文禄の役では肥前名護屋城の三ノ丸御番衆として在陣。父の死で、遺領の信濃松本藩10万石のうち、5,000石を分知相続した。

慶長8年(1603年)、徳川家康征夷大将軍宣下の拝賀に供奉に列した。

慶長18年(1613年)、大久保長安事件に関係した長兄・康長に連座して改易された。

参考文献 編集