神矢 粛一(かみや しゅくいち、嘉永2年(1849年) - 大正8年(1919年)1月5日)は、今の兵庫県出身の教育者。

人物 編集

  • 小学校の増設を訴え、兵庫教育協会、神戸教育会の創立にも加わった。また、水泳教育の充実をはかり、付属水泳場をもうけた。

親族 編集

  • 出典は人事興信録の4巻と、8巻より。
  • 弟:沖野忠雄豊岡藩士沖野春水の次男)
    • 妻・ふて(ふで。猪子清の長女で、沖野の妻)
  • 娘:神矢ふみ(神矢粛一の2女)
  • 娘:神矢ふく(神矢粛一の3女)

縁者 編集

脚注 編集

参考文献 編集