神路信号場

日本の北海道中川町にあった日本国有鉄道宗谷本線の信号場

神路信号場(かみじしんごうじょう)は、北海道中川郡中川町神路にあった日本国有鉄道宗谷本線信号場である。事務管理コードは▲121832[1]

神路信号場
跡地(2019年8月、列車内から)
かみじ
Kamiji
筬島 (7.5 km)
(10.5 km) 佐久
地図
所在地 北海道中川郡中川町字神路
北緯44度44分36秒 東経142度8分18秒 / 北緯44.74333度 東経142.13833度 / 44.74333; 142.13833座標: 北緯44度44分36秒 東経142度8分18秒 / 北緯44.74333度 東経142.13833度 / 44.74333; 142.13833
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 宗谷本線
キロ程 143.1 km(旭川起点)
開業年月日 1922年大正11年)11月8日
廃止年月日 1985年昭和60年)3月14日
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1977年の神路信号場の状況。周囲約500 m範囲。上が稚内方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史 編集

北海道大学(以下、北大)演習林(現:北大中川研究林)の強い要望もあって木材搬出のために、当初は一般駅として設置された[2]

所在した神路地区は、鉄道開通後もなお開拓農家のほか鉄道職員が住むのみの集落であったが、1963年昭和38年)12月に、同年完成したばかりの駅と対岸の国道40号を結ぶ神路大橋が落橋したことを動機に住民全員が撤退をはじめ[2]1967年(昭和42年)に最後の農家が撤退[2]、鉄道官舎も消滅し[2]1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』で「駅周辺には人家が一軒もないところ[3]」と紹介される状況にあった。

こうした状況から当駅も1977年(昭和52年)5月25日信号場仮乗降場となり、停車列車は1日1往復のみとなる。そして1985年(昭和60年)3月14日に廃止された。

年表 編集

駅名の由来 編集

当駅の所在する地域名(名)より。駅対岸(天塩川左岸)の崖(現在の神居山)がアイヌ語で、「カムイルエサニ(kamuy-ru-e-san-i)」(神の・坂路が・そこから・浜に出る・所)と呼ばれていたものを意訳したものである[9][10][3]

構造 編集

相対式2面2線を持ち列車同士の交換可能な地上駅であった。現在の本線は当時の2番線に沿っている。

利用状況 編集

乗車人員の推移は以下の通り。1日乗降人員については元データを期間日数で割って算出した参考値を括弧書きで示す。

乗車人員推移
年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均
1922年度(大正11年度) 589 (1.6) [11] 開通初年度。11月8日から営業
1923年度(大正12年度) 3,575 (9.8)
1924年度(大正13年度) 4,155 (11.4)
1925年度(大正14年度) 4,023 (11.0)
1926年度(大正15年度) 3,413 (9.4)
1965年度(昭和40年度) 2,666 (7.3) [12] 同年住民が全戸撤退を決定[2]
1966年度(昭和41年度) 2,110 (5.8)
1967年度(昭和42年度) 558 (1.5) 同年最後の農家が撤退[2]
1968年度(昭和43年度) 492 (1.3)
1969年度(昭和44年度) 306 (0.8)
1970年度(昭和45年度) 328 (0.9)

周辺 編集

前述の神路大橋落橋後も対岸に渡る橋は架橋されなかったため、当地への到達は非常に困難となっている。

  • 天塩川
  • 神居山
  • 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター森林圏ステーション中川研究林
  • 神路大橋橋桁・橋台跡地
  • 中川町立神路小学校跡地
  • 日本通運稚内支店神路派出所跡地

隣の駅 編集

日本国有鉄道
宗谷本線
筬島駅 - 神路信号場 - 佐久駅

脚注 編集

  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g 『中川町史』中川町、1975年4月、473頁。 
  3. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、179頁。ASIN B000J9RBUY 
  4. ^ 大蔵省印刷局, ed (1922-11-03). “鉄道省告示 第154号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3078). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955196/4. 
  5. ^ a b 『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行、第5編資料/1年表。
  6. ^ a b c d 『中川町史第2巻』中川町、2016年4月、760‐761頁。 
  7. ^ 北海道新聞社 編『北海道年鑑 1954年版北海道新聞社、1953年10月15日、198頁。doi:10.11501/2980303https://dl.ndl.go.jp/pid/2980303/1/107 
  8. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、901頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  9. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  10. ^ アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
  11. ^ 『中川町史』中川町、1975年4月、470頁。 
  12. ^ 『中川町史』中川町、1975年4月、474頁。 

関連項目 編集