秋田盛季

陸奥三春藩2代藩主。秋田家4代。秋田俊季の長男。従五位下、安房守

秋田 盛季(あきた もりすえ)は、陸奥国三春藩の第2代藩主。秋田家第4代当主。

 
秋田 盛季
時代 江戸時代前期
生誕 元和6年(1620年
死没 延宝4年1月13日1676年2月26日
改名 久松、盛季
別名 左近
戒名 陽雲院殿竜天蒼松
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院、高野山
官位 従五位下安房守
幕府 江戸幕府 大坂城加番
主君 徳川家光家綱
陸奥国三春藩藩主
氏族 秋田氏
父母 父:秋田俊季、母:永寿院(松平信吉の娘)
兄弟 盛季、女子、季久、女子(新庄直長室)、女子(植村忠朝室)、男子、女子
正室:正寿院安藤重長の娘)
男子、女子(伊東祐実室)、女子、輝季、男子、女子、男子
養女佐治一成娘。小出重堅妻)
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略歴 編集

元和6年(1620年)、秋田俊季の長男として宍戸城で生まれた[1][2][3]。母は、常陸国土浦城城主・松平信吉の娘[1][2][3]。童名は久松[1][2][3]。のち、左近と号す[1][2][3]元服して、先祖の名である盛季を名乗った[1]

寛永18年(1641年)12月29日、従五位下安房守に叙任された[2][1][3]

慶安元年(1648年)12月。父・俊季の看病のため、大坂へ赴く[3]。同2年(1649年)1月、父が大坂城で病没し、大坂城加番を引き継いだ[1]。同年5月14日[3]、遺領5万石を継ぎ、三春城城主となった[1][3]。弟・季久に、遺領のうち5000石を分知した[1][3]

慶安3年(1650年)から同4年(1651年)、駿府城加番を務めた際には由井正雪の乱が起こった[4]

家臣・秋田四郎兵衛や小野寺多左衛門を用い、藩制の整備と財政再建に努めた[4]。また、祖父・実季と書簡をやりとりした[4]。秋田氏ゆかりの古四王を勧請し、別当真照寺に多くの仏像や仏画を寄進した[4]

延宝3年(1675年)、大坂城番を務めた[2]

延宝4年(1676年)1月13日、大坂城中で病死した[2][5]。57歳[2][5]法名は陽雲院殿竜天蒼松[5][2]高野山に葬られた[5]

次男の輝季が跡を継いだ[5]

逸話 編集

病身で引っ込み思案の性格だったため、個人に関する逸話はほとんど伝わっていない。『秋之夜之夢噺』(個人蔵)に次のような逸話が収められている[6]

明暦3年(1657年)の大火の時、江戸にいた盛季は、すぐさま家来の秋田伝内を江戸城へ派遣した。その時、白川城主松平越中守(この年の白河藩主は本多能登守忠義なので史実としては誤り)は江戸城にいたが、盛季の家来が登城したことを聞き、「自分の屋敷より12里も遠いところに屋敷のある盛季に先を越されて悔しい」と立腹した。

それから数年後、盛季が大坂加番で上京する途中、伊勢国桑名に一泊した。この時の桑名藩主は、白河から桑名へ転封していた松平越中守その人であった。そして、その時、たまたま桑名で火事が起こり、越中守は、桑名城の櫓に登り、盛季やその家来達がうろたえるところを見てやろうと試みた。しかし、盛季の行列は少しも乱れず、煙の中を静々と通り、安全な場所で行列を止め、盛季は足軽二組を桑名城へ向かわせ、越中守に対し、「城下が火事です、風も激しく、お城が危うく見えますので家来を差し向けました」と伝えた。

越中守は、盛季は酒ばかり飲み、鷹狩りが好きなどうしようもない奴と思っていたが、秋田家は古い家なので、良い家来をもっていてうらやましいと語ったという。

系譜 編集

○出典:断りがない場合は『三春町史』に拠っている[7][8]

父母

兄弟姉妹

  • 盛季
  • 女子(於ツウ) - 早世
  • 季久 - 同母[3]
  • 女子(於ヒサ) - 新庄直長室。同母[3]
  • 女子(於ヨ子) - 植村忠朝室。同母[3]
  • 男子(右近) - 早世
  • 女子(於カメ)

正室

子女

  • 男子(東太郎) - 早世。生母は正寿院[3]
  • 女子(於子々) - 伊東祐実室。生母は正寿院[3]
  • 女子(於ツル) - 早世。生母は正寿院[3]
  • 輝季 - 生母は正寿院

○以下は出生順不詳

  • 男子(甚九郎) - 早世
  • 女子(於イハ) - 早世。母は某氏[9]
  • 男子(次郎八) - 早世

○以下、出典は『寛政重修諸家譜[9]

  • 養女:佐治一成の娘。小出重堅(甚太郎)に嫁いだ

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 三春町 1984, p. 89.
  2. ^ a b c d e f g h i 三春町 1978, p. 58.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 寛政譜 1923, p. 335.
  4. ^ a b c d 三春町 1984, p. 90.
  5. ^ a b c d e 三春町 1984, p. 91.
  6. ^ 秋田盛季と火事|Web資料館|三春町歴史民俗資料館 - 三春町ホームページ”. www.town.miharu.fukushima.jp. 2020年2月27日閲覧。
  7. ^ 三春町 1978, pp. 58–59.
  8. ^ 三春町 1984, p. 89,91.
  9. ^ a b 寛政譜 1923, p. 336.

参考文献 編集

  • 「巻第六百三十一」『寛政重修諸家譜』 第四輯、國民圖書、1923年5月23日。NDLJP:1082713/176  
  • 三春町 編『三春町史』 第8巻《近世資料(資料編2)》、三春町、1978年12月25日。NDLJP:9641578/42 (要登録)
  • 三春町 編『三春町史』 第2巻《近世(通史編2)》、三春町、1984年10月30日。NDLJP:9643281 (要登録)

外部リンク 編集