稲垣義方

日本の官僚、政治家 (1841-1907)

稲垣 義方(いながき よしかた、1841年天保12年) - 1907年明治40年)7月6日)は日本官僚政治家金沢市長(1期)

稲垣義方
いながき よしかた
生年月日 1841年天保12年)
出生地 日本の旗 日本加賀国金沢町(現:石川県金沢市
没年月日 1907年明治40年)7月6日

初代 金沢市長
当選回数 1回
在任期間 1889年5月27日 - 1893年4月11日

第4代 金沢区長
在任期間 1884年2月18日 - 1889年3月31日

在任期間 1896年10月12日 - 1898年1月19日
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経歴 編集

1841年加賀藩士の家に生まれる。藩の改作奉行、軍艦棟取役をつとめ廃藩に至った。維新後、石川県大属などをつとめ1883年富山県上新川郡長に就任。金沢区長をへて1899年、第1回金沢市会議員選挙で自ら率いる稲垣派と長谷川準也の長谷川派が争い稲垣派が勝利し、初代金沢市長に就任。政府が民党候補を妨害した第2回衆議院議員総選挙では稲垣とその支援組織の盈進社は吏党を支持し民党勢力と対立した。こうした中で金沢市会は稲垣に不信任決議を採択し稲垣は辞職に追い込まれた。その後、能美郡長、鳳至郡長をつとめ、政界を引退。1907年死去。

参考文献 編集

「愛蔵版 ふるさと人物伝」北國新聞社 2010年

関連項目 編集

公職
先代
(創設)
  金沢市長
初代:1889年 - 1893年
次代
長谷川準也
先代
梅原可也
金沢区長
第4代:1884年 - 1889年
次代
(廃止)