稲見 貞蔵(いなみ ていぞう、1872年(明治5年5月[1])- 没年不詳)は、三重県四日市市長。
秋田県秋田市出身[2]。1892年(明治25年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業[3]。滋賀県属、奈良県属、内務省地方局勤務、新潟県佐渡郡長、同北蒲原郡長、新潟県勧業課長、北海道庁空知支庁長を歴任した[2]。1916年(大正5年)に退官し、三井炭鉱庶務課長、新潟市貯蓄銀行支配人を務めた[2]。
1918年(大正7年)、四日市市長に選出され、1期在任[2]。退任後の1923年(大正12年)、旭川市助役に選ばれた[4]。
その後東京市麻布区長を務めた[5]。