童夢・F105(どうむ・エフいちまるご)は、童夢1997年からのF1世界選手権参戦を目指し、テスト用に開発したフォーミュラ1カー。設計は童夢チーフデザイナーの奥明栄

開発の経緯 編集

童夢はオリジナルシャーシのF1041994年の全日本F3000選手権シリーズチャンピオンを獲得。これを契機に、1995年秋には純国産F1マシンとオール・ジャパン・チームによるF1世界選手権への挑戦を目指す「F1 GP NIPPONの挑戦」プロジェクトを発表し、「F1冒険CLUB」と称して協賛企業16社を募った。

1996年3月18日、東京青山にてF1プロトタイプシャーシとなるF105の発表会を行った。同年4月5日、童夢F3000チーム監督である松本恵二のドライブにより鈴鹿サーキットでシェイクダウンを敢行。その後、国内各地のサーキットでテスト走行を続け、フォーミュラ・ニッポンのレース会場でデモランも行った。マルコ・アピチェラ中野信治がドライブを担当し、他にも山本勝巳服部尚貴黒澤琢弥脇坂寿一など、フォーミュラ・ニッポンのドライバーが複数起用された。

1996年10月、童夢は1997年からのF1参戦を延期すると発表。F1日本グランプリの2週間後、鈴鹿で服部のドライブにより比較テストを行い、ニュータイヤを履いてのタイムアタックで1分46秒28[注釈 1]を記録した。しかし、オイルキャップの緩みから漏れた燃料に引火して走行中止となり、翌年初頭まで修復作業が行われた。

1997年もカウルの空力処理やサスペンションジオメトリーに改良を加えたF105iでテストを継続した。しかし、プロジェクトに対する日本企業の反応は鈍く、童夢も全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) や全日本GT選手権 (JGTC) のホンダ車両の開発を請け負っているため、F1マシンの開発に集中できなかった。

童夢社長(当時)の林みのるは、ホンダがフルコンストラクターとしてF1に復帰すると噂されていた状況で、先ず童夢/無限の国産マシンが「先行調査的な参戦を行う」ことを考えていたと後に明かしている[1]。ホンダ側へもその意図を提案したが、1998年1月にホンダがフルワークス体制でのF1参戦[注釈 2]を宣言したため成立せず。ホンダのF1復帰が注目される陰で、童夢/無限のプロジェクトは終息に向かい、1998年夏のテストを最後にF105は退役した。童夢はロード/オーバル両方に対応するオリジナルフォーミュラの「ML」を発表する一方、1998年のF1レギュレーション(グルーブドタイヤの導入・全幅の縮小など)に対応した「F106[注釈 3]」の構想を語っていたが、実現しなかった。

童夢は自力参戦にこだわらず、F1進出を図る海外の事業家とジョイントして、シャーシを提供するというプランも検討していた。ナイジェリアのマリック・アド・イブラヒム王子[注釈 4]や、オランダ投資家グループによるミナルディ買収といった交渉が行われたが、いずれも搭載するエンジンがネックになり実現しなかった。

その後、F105は滋賀県米原市にある童夢の風洞実験施設「風流舎」に保存されていたが、「風流舎」をトヨタ自動車へ売却したことから、2016年の同社本社移転に伴い新本社社屋に移されている[2]

特徴 編集

設計自体は奇抜な所のないオーソドックスなものであり、モノコックは細く高いハイノーズに吊り下げ式のフロントウィングという、当時のF1マシンの流行を押さえている。開発当初はフラットボトムで設計されたが、1995年のレギュレーションにあわせてステップドボトムに変更された。コクピット開口部には、1996年から義務化されたサイドプロテクターを装備していた。ダンパーショーワ製。

エンジンは1995年のリジェ・JS41に搭載された無限・MF-301H。ギアボックスX-Trac製のパドル操作式6速セミAT。1998年にはドライブ・バイ・ワイヤを導入した。

カラーリングは全体が白色で、コクピット周りに黄色(1996年)かオレンジ色(1997年)のラインが入る。スポンサーはCW-X(ワコールのスポーツウェア)とセブン-イレブン家庭教師のトライがついていた。

テストではグッドイヤーのF1タイヤを装着したが、1997年よりF1に参戦するブリヂストンへデータが漏れることを警戒され、最新スペックのタイヤは供給されなかった。

設計主任の奥明栄は「F3000マシンに毛が生えた程度」と表現しながらも、当時のF1の下位チームのマシンよりは出来が良かっただろうと語っている[3]。しかし、レースを完走できるほどの信頼性は不足しており、自己採点では60点の出来と振り返っている[3]

スペック 編集

  • 全長 4,515 mm
  • 全幅 1,995 mm
  • 全高 980 mm
  • ホイルベース 2,880 mm
  • 前トレッド 1,708 mm
  • 後トレッド 1,619 mm
  • ブレーキキャリパー MMCモノブロックキャリパー(フロント6ポット、リヤ4ポット)
  • ブレーキディスク・パッド カーボン
  • ホイール マグネシウム製・フロント11インチ×13インチ、リヤ14インチ×13インチ
  • タイヤ グッドイヤーブリヂストン
  • エンジン 無限ホンダ・MF301H
  • 気筒数・角度 V型10気筒・72度
  • 排気量 3,000cc
  • 燃料タンク 125L
  • ギヤボックス 6速+リバースセミAT
  • スパークプラグ NGK

ゲーム化 編集

童夢・F105の開発をテーマとしたプレイステーション向けシミュレーションゲームが発売された。童夢は未来のレーシングカー・デザイナーの育成を目的に協力を行い、実際に開発を行った際の実データが提供されている。

  • 『童夢の野望 F1GP NIPPONの挑戦』 - 1996年10月25日発売
  • 『童夢の野望2 The Race of Champions』 - 1998年11月19日発売

注釈 編集

  1. ^ 日本グランプリのポールポジションタイムはジャック・ヴィルヌーヴウィリアムズルノー)の1分38秒909。
  2. ^ 試作車ホンダ・RA099でテスト走行を行ったが計画を修正し、2000年よりエンジンサプライヤーとして復帰した。
  3. ^ その後、F106は2003年にF3マシンとして開発された。
  4. ^ 童夢とのジョイントが失敗した後、1999年にアロウズの経営に参加する。

出典 編集

  1. ^ 『F1倶楽部 Vol.26』p.44。
  2. ^ “童夢、レースクイーンも登場した新本社竣工式典開催”. Car Watch. (2016年5月26日). https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/759353.html 
  3. ^ a b 『Racing On 特集:ホンダF1“2.5期”の燭光』p.87。

参考文献 編集

  • 『F1倶楽部 Vol.26』双葉社 1999年7月
  • 『Racing On 特集:ホンダF1“2.5期”の燭光』イデア 2013年6月

外部リンク 編集