第1次ミハイル・フラトコフ内閣

第1次ミハイル・フラトコフ内閣 (Первое правительство М. Е. Фрадкова、2004年3月 - 5月) はロシア連邦の政府。2004年2月24日ウラジーミル・プーチン大統領によって解散されたミハイル・カシヤノフ内閣に続いて組閣され、2004年ロシア大統領選挙で再選されたプーチンの就任後、第2次ミハイル・フラトコフ内閣に引き継がれた。

2004年3月5日に議会の承認を得、プーチン大統領によって指名されたミハイル・フラトコフ首相によって率いられた。他の16人の大臣は3月9日に首相から指名され、うち7名は前カシヤノフ内閣と同じ顔ぶれであった。閣僚の入れ替え、辞任なしに5月7日まで続いた。臨時内閣としての性格が強く、数日後に若干の人事異動を行ったうえで、第2次フラトコフ内閣に引き継がれた。

閣僚 編集

職名 氏名 任期 備考
首相
 
ミハイル・フラトコフ 2004年3月5日 – 5月12日
副首相
 
アレクサンドル・ジューコフ 2004年3月9日 - 5月20日
内務大臣
 
ラシド・ヌルガリエフ 2004年3月9日 - 5月20日
非常事態大臣
 
セルゲイ・ショイグ 2004年3月9日 - 5月20日
保健・福祉大臣
 
ミハイル・ズラボフ 2004年3月9日 - 5月20日
外務大臣
 
セルゲイ・ラブロフ 2004年3月9日 - 5月20日
文化・マスメディア大臣
 
アレクサンドル・ソコロフ 2004年3月9日 - 5月20日
国防大臣
 
セルゲイ・イワノフ 2004年3月9日 - 5月20日
教育科学大臣
 
アンドレイ・フルセンコ 2004年3月9日 - 5月20日
天然資源大臣
 
ユーリ・トルトネフ 2004年3月9日 - 5月20日
農業・漁業大臣
 
アレクセイ・ゴルデーエフ 2004年3月9日 - 5月20日
エネルギー・産業大臣
 
ヴィクトル・フリステンコ 2004年3月9日 - 5月20日
通信・運輸大臣
 
イーゴリ・レヴィチン 2004年3月9日 - 5月20日
財務大臣
 
アレクセイ・クドリン 2004年3月9日 - 5月20日
経済発展・貿易大臣
 
ゲルマン・グレフ 2004年3月9日 - 5月20日
司法大臣
 
ユーリ・チャイカ 2004年3月9日 - 5月20日
官房長官
 
ドミトリー・コザク 2004年3月9日 - 5月20日