第21独立治安防護旅団 (ウクライナ国家親衛隊)

第21独立治安防護旅団(だい21どくりつちあんぼうごりょだん、ウクライナ語: 21-ша окрема бригада охорони громадського порядку)は、ウクライナ国家親衛隊旅団中部作戦地域司令部ウクライナ語版隷下。

第21独立治安防護旅団
創設 1966年9月30日
所属政体 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
 ウクライナ
所属組織 ウクライナ国家親衛隊
部隊編制単位 旅団
兵科 国家憲兵
兵種/任務/特性 治安部隊
所在地 ドニプロペトロウシク州クルィヴィーイ・リーフ
愛称 ペトロ・カルニシェフスキー
上級単位 中部作戦地域司令部ウクライナ語版
主な戦歴 ドンバス戦争
ロシアのウクライナ侵攻
現司令官 ウォロディミル・ビロウソフ大佐
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概要 編集

ソ連国内軍 編集

1966年9月30日、ソ連国内軍第25独立特殊自動車化警察大隊として、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナドニプロペトロウシク州で創設された[1]

ウクライナ国家親衛隊/ウクライナ国内軍 編集

1992年1月2日、ソビエト連邦の崩壊ウクライナの独立に伴い、創設されたウクライナ国家親衛隊に編入し、第2師団隷下の第6連隊に改編された。

1995年1月、ウクライナ国内軍に編入し、部隊増強に伴い、第21独立特殊自動車化警察旅団に改編された。

ドンバス戦争 編集

2014年3月13日、ウクライナ国内軍の廃止に伴い、創設されたウクライナ国家親衛隊に編入し、第21独立治安防護旅団に改編された。

2014年7月から、ドンバス戦争に投入され、東部ドネツィク州ルハーンシク州に配備され、オレクサンドル・ラディエフスキー旅団長、小銃大隊のパウロー・スニツァル大隊長が戦死した。

2018年8月23日、ペトロ・ポロシェンコ大統領から、名誉称号「ペトロ・カルニシェフスキー」を授与された[2]

ロシアのウクライナ侵攻 編集

南部・ヘルソン戦線 編集

2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻では、ロシア軍の中部ドニプロペトロウシク州クルィヴィーイ・リーフ進軍を阻止するため南部ヘルソン州に配備され、クルィヴィーイ・リーフには1個大隊が配備された。ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権時代の副首相で親ロシア派とみなされていたオレクサンドル・ビルクルが軍政長となり不安視されていたが、侵攻2日目にはロシア側からの協力要請と「君に新しいウクライナでの大きなポストを用意している」と云う取引を拒絶したことで市民が一体となり要塞化も進み、ウクライナ軍不在でロシア軍がクルィヴィーイ・リーフまで一時数百メートルと迫ったがウクライナ領土防衛隊の1個大隊と合同で撃退した[3][4][5][6]

東部・マリウポリ戦線 編集

2022年2月24日から、特務大隊が東部ドネツィク州マリウポリに配備されたが、5月中旬にマリウポリは陥落した[7]

2023年9月29日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領から、勇気と勇敢さに対する栄誉賞を授与された[8]

東部・南ドネツク戦線 編集

2023年9月下旬、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に再配置され、ウロジャイネ(ヴェリカ・ノヴォシルカ・フロマーダ)を防御している[9]

編制 編集

脚注 編集

出典 編集

外部リンク 編集