箕内拓郎

日本のラグビーユニオン選手

箕内 拓郎(みうち たくろう、1975年12月11日 - )は、日本ラグビー指導者。元ラグビー日本代表選手。2020年から2023年3月まで、JAPAN RUGBY LEAGUE ONE日野レッドドルフィンズのヘッドコーチを務めた[1]

箕内 拓郎
生年月日 (1975-12-11) 1975年12月11日(48歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県北九州市
身長 1.87 m (6 ft 1+12 in)
体重 106 kg (16 st 10 lb)
学校 八幡高校
大学 関東学院大学
オックスフォード大学
愛称 ミウ
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ナンバーエイト、フランカー
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
八幡高校
関東学院大学
オックスフォード大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
NEC
NTTドコモ
()
代表
チーム 出場 (得点)
2002-2008  日本 48 (35)
更新日:  2021年4月12日
コーチ歴
チーム
2014-2016
2017-2023
NTTドコモ
日野RD

プロフィール 編集

主な経歴 編集

6歳でラグビーを始める。八幡高では1年時のFBSOを経て2年からNo8に転向した。

関東学院大学では2年時からレギュラーに定着。4年時に主将を務め、大学選手権で初優勝を果たす。

卒業後にオックスフォード大学へ留学。98年12月にケンブリッジ大学との定期戦「バーシティ・マッチ」に出場し、「ブルー」の称号を得た。(日本人では林敏之以来2人目)

1999年、NECに入社。2000年4月から3ヶ月間、イタリア・セリエA2のラグビーパエゼでプレーした。

トップリーグが開幕すると、第1回マイクロソフトカップ優勝に導きMVPを獲得。

2002年のロシア戦で日本代表キャップ獲得と同時に主将に就任。日本代表出場48試合のうち、45試合でキャプテンを務めた。大柄な体格から「ミスター・キャプテン」と呼ばれた[2][3]

2006年12月3日に英国レスターで行われた南アフリカ代表海外遠征100周年記念試合に世界選抜の一員として選ばれ出場した。[4]

2006年以降、代表の主将を大畑大介に譲ったが、2007年ワールドカップ直前に大畑が故障により離脱したため、2大会連続で主将を務めた。

2010年春にトップリーグ下部(トップウェスト)に所属するNTTドコモレッドハリケーンズに移籍。[5]10年度の入替戦に勝利しチームのトップリーグ昇格に貢献した。

2014年のリーグ開幕前の練習試合で両目を痛めて水晶体亜脱臼を発症し、両目の水晶体を摘出して人工レンズを入れる手術を受け、ドクターストップを受けたことにより現役を引退。その後はNTTドコモのFWコーチを務めることが発表された[6]

2015年のラグビーワールドカップでは、J SPORTSの試合中継の解説者を務めている。

2017年、日野レッドドルフィンズのFWコーチに就任[7]。2020年、同チームヘッドコーチに昇格[8]

2023年3月31日、日野レッドドルフィンズのヘッドコーチを退任した[1]

脚注 編集

外部リンク 編集