篠崎清
日本の陸上競技選手
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1950年、第26回東京箱根間往復大学駅伝競走に日本体育大学の5区で出場し、第2位[1]。
1951年、全日本マラソンで優勝。1953年、日本代表として第58回ボストンマラソンに出場。22位に入った。現役引退後は茨城県立藤代高等学校教諭として後進の指導にあたっていたが、1973年、交通事故により死去した。
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