紀元前265年(きげんぜん265ねん)は、ローマ暦の年である。

世紀 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀
十年紀 前280年代 前270年代
前260年代
前250年代 前240年代
前268年 前267年 前266年
紀元前265年
前264年 前263年 前262年

当時は、「クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスルキウス・マミリウス・ウィトゥルス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元489年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前265年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法 編集

できごと 編集

ギリシア 編集

シチリア 編集

中国 編集

  • の穣侯魏冄が封地の陶に赴いた。
  • 秦の昭襄王の子の安国君が太子となった。
  • 秦がを攻撃し、3城を奪った。趙はに援軍を求めたが、斉は長安君を人質として求めた。趙が長安君を斉に送ったので、斉が援軍を差し向けると、秦軍は撤退した。
  • 斉の安平君田単が趙軍を率いてを攻撃し、中陽を奪った。さらにを攻撃して、注人を奪った。

科学 編集

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

関連項目 編集