紀元前615年(きげんぜん615ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元139年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前615年と表記されるのが一般的となった。

世紀 前8世紀 - 前7世紀 - 前6世紀
十年紀 前630年代 前620年代
前610年代
前600年代 前590年代
前618年 前617年 前616年
紀元前615年
前614年 前613年 前612年

他の紀年法 編集

できごと 編集

中国 編集

  • 郕の太子朱儒がに亡命した。
  • の成嘉が令尹となった。舒の諸国が楚から離反すると、成嘉は舒子平と一族を捕らえ、巣を包囲した。
  • 軍がに侵攻し、羈馬を占領した。両軍は河曲で会戦し、秦軍は退却した。
  • 秦軍が晋に侵攻し、瑕を攻撃した。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集