紫垣 一雄(しがき いちお、1865年7月31日慶応元年6月9日[1]) - 1942年昭和17年)5月13日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴 編集

熊本県出身[2]。農業を営み、熊本県会議員、同参事会員となる[2]

1906年11月、熊本県郡部の佐々友房の死去による衆議院議員補欠選挙において大同倶楽部公認で立候補して当選した。つづく1908年第10回衆議院議員総選挙において再選[3]。衆議院議員を2期務め、1912年第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1942年死去。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第二十七回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1910年、28頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』302頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』51頁。

参考文献 編集

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。