細川 成春(ほそかわ しげはる)は、室町時代後期の武将淡路国守護細川淡路守護家6代当主。

 
細川成春
時代 室町時代後期
生誕 永享5年(1433年
死没 文明17年5月15日1485年6月27日
別名 彦四郎(通称)
官位 淡路守隠岐守
幕府 室町幕府 淡路守護
主君 足利義政義尚
氏族 細川淡路守護家
父母 父:細川持親
尚春
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略歴 編集

永享5年(1433年)、細川持親の子として誕生。の「成」の字は、室町幕府8代将軍足利義成(のちの義政)から偏諱を賜ったものであるから、義成が元服および将軍に就任した文安6年(1449年)以後(まもない頃)に元服したものと考えられる。また、のちに義成(義政)の弓の師を務めたことにより、将軍の側近となった。

寛正6年(1465年)、父の死去により家督を継いで淡路守護となり、応仁元年(1467年)からの応仁の乱では、細川勝元の東軍に与した。文明17年(1485年)5月15日に死去。享年53。子・尚春が跡を継いだ。

関連項目 編集

  • 犬追物 - 養宜館周辺で頻繁に行っていた
  • 養宜館 - 城主となっていた