細川 斉詮(ほそかわ なりあきら)は、江戸時代後期の肥後国熊本藩の世嗣。

 
細川斉詮
時代 江戸時代後期
生誕 寛政8年9月30日1796年10月30日
死没 文化15年4月18日1818年5月22日
改名 茲詮[1]、斉詮
肥後熊本藩世嗣
氏族 細川氏
父母 細川斉茲
兄弟 立之斉詮斉樹、浜次郎、猪八郎、邰、峯、柏
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略歴 編集

8代藩主・細川斉茲の次男として誕生した。初名は茲詮(しげあきら)、のち父・斉茲同様に11代将軍・徳川家斉から偏諱を受け、斉詮に改名した。

父・斉茲が肥後宇土藩主から宗家である熊本藩主となった際、宇土藩細川家の家督は長兄の立之が継いだ。その後に生まれた斉詮が、次男ながら宗家嫡子となったが、家督相続前に廃嫡された。代わって、弟の斉樹が嫡子となった。

文化15年(1818年)、23歳で死去した。

脚注 編集

  1. ^ 『大名細川家の至宝 文武の歴史と雅の文化・永青文庫名品展』(編:山梨県立美術館)掲載系図より。