絶対的一神教(ぜったいてきいっしんきょう)とは、すべての民族国民がただひとつのを信ずべきだとする立場[1]。広義の意味においては、一唯一神)への信仰絶対とする宗教を指す。狭義の意味における絶対的一神教(唯一神教)は、ユダヤ教イスラーム教キリスト教を指す場合が一般的である。絶対的一神教の信者は、他の神々の存在を原理的に否定するとされる。彼らは、世界終末ののち、自分たちの崇拝する神が、絶対的な新しい世界を創る、という信仰を持つ場合が多い。

絶対的一神教と信者の行動 編集

民族 編集

唯一絶対神教による救済の対象を、一つの民族とした場合、他の民族は唯一神の救済の対象外や、敵とされやすい。この教義が終末思想と結びついた場合、他民族排斥や民族闘争になりやすいといえる。

宗教 編集

唯一絶対神教による救済の対象を、一つの宗教とした場合、他の宗教信者は唯一神の救済の対象外や、敵とされやすい。この教義が終末思想と結びついた場合、異端排斥や異端弾圧や宗教戦争になりやすいといえる。

絶対的一神教の教育と社会の通念 編集

唯一神教の教育により生まれる「絶対性」の種類 編集

信者と非信者との関係において、次のような絶対性が構築される場合がある。

国教化による教育によって生まれる社会の通念 編集

唯一神教の宗教が国教とされ、政治と宗教の教義を一体化することによって、絶対化された観念が、公的理念となっている場合がある。ユダヤ教イスラーム教キリスト教においては、国教化による権威を有する国もあるため、「他宗教の他国」の存在については、これを原理的に否定している場合がある。

信仰の自由の立場での教育によって生まれる社会の通念 編集

  • 国教ではないけれど、政府の主要な行事に、唯一神教の啓典を使用している場合がある。この場合は、宗教の権威が政治に影響を及ぼしている度合いによって、社会通念の教育の宗教化に影響がある。
  • 日本のように、唯一絶対神教を国教としていない場合、宗教の権威は、直接、政治に影響を及ぼしてはいないということができる。信仰の自由の上に、結党や献金の行為がなされている。

集団マインドコントロールによる教育によって生まれる常識的でない通念 編集

社会的に問題のあるセクト集団の例 編集

唯一神教(絶対的一神教)について 編集

イスラーム教 編集

詳しくはイスラーム教を参照。

ユダヤ教における天地を創造した神を唯一絶対神としている。

アブラハムの神とされる唯一神は、霊的存在である天使ガブリエルを通して、直接、ムハンマドクルアーンウスマーン版ムスハフ)(ムスハフ解釈本)として、多くの言葉を啓示している。イスラーム教は、2010年時点で16億人の信徒があると推定されている。 アッラーとしての唯一神は、平和の神であると同時に、他国や他宗教と戦争をする神でもある。ここに、大きな矛盾が存在するといえる[注 2]。これにより、イスラーム教の信者は、両極端の矛盾した論理のどちらをも、絶対的な真理であるとして教育されることになった。

詳しくはナスフを参照

クルアーンの示す神の啓示に基づいて国を維持してゆくためには、クルアーンに含まれる矛盾をそのままにしておいたのでは、国家が成り立ってゆかないと言える。イスラム法学者は、時期的に新しい神の真理が、前からある神の真理を破棄することが出来るという方法を考え出した[注 3]

ウスマーン版ムスハフ全体を通じて、神の呼称は一貫していないとされている。初期のメッカ時代には、その時期ではおもに「主」と「アッラー」が、用いられているとされる[2]。また、「われ」と言ったり、「われわれ」と言ったりする場面が数多くある[3]

神の存在について、ムスハフ解釈本では、二種類の姿が啓示されている。一つには、神は、「超越的・遍在的な人格神」としての姿であるとしている。これは、現代の宇宙論にも通用する姿であるといえる。もう一つは、神は、人間の上空にあって、全ての存在を支配している「高み座に座している人格神」であるとしている。そのどちらも、ムスハフでは、慈悲の神の姿として啓示されている[注 4]

イスラーム教の時代区分 編集

イスラーム教において、初期のころは、他との調和をはかる拝一神教であったが、メディナ期になると、敵と戦う絶対的一神教に転化した。戦闘に関する規定は、メッカ時代初期の戦闘禁止から、防衛戦のみ、そして戦闘一般に拡大したとされる[4]。メディナ期には、偶像崇拝者は見つけ次第殺せ、という啓示が下された。そのことから、ムハンマドに下された啓示が、唯一絶対神の啓示に変化したのは、メディナ時代に入ってからであるといえる。 啓示全体が下された20年余りの時期を、三期に分ける研究の仕方が一般的であるとされている。現在のイスラーム法の基礎となっているのは、主にメディナ期の啓示である[注 5]

  • 初期(最初期)のイスラーム(拝一神教)
  • 中期のイスラーム
  • メディナ期のイスラーム(絶対的一神教)

絶対的一神教としてのイスラーム教 編集

メディナ期では、多神教徒を敵とみなし、神の命の下に、戦闘、強奪、侵略を行い、領土を拡張していった。神は、戦いで死んだ者は天国に行けるという啓示を下し、最後の審判ののちに、天地を新しく造るとした。

イスラーム教の大きな特徴としては、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじるとともに、全ての信徒がウンマと呼ばれる信仰共同体に属するとしていることである。六信五行の教義によって、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじている。

六信五行 編集

イスラム教(スンナ派)の信仰の根幹は、六信と五行、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。

六信は、次の6つである。

  • 神(アッラー)は、唯一全能の神であり、神の正義は絶対である。
  • 天使
  • 啓典 神の啓示、キターブ[注 6]
  • 使徒[注 7]
  • 来世[注 8]
  • 定命

五行は、次の五つである。

ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行は、次の5つとされている。イスラーム教では、思想の正しさよりも、行動(六信五行等)の正しさを重視しているとされる[注 9]

  • 信仰告白
  • 礼拝
  • 喜捨
  • 断食
  • 巡礼

これに、戦いの心構えとして、ジハード(努力・聖戦)が加わってくる[注 10]

ユダヤ教 編集

詳しくは、ユダヤ教を参照、

ユダヤ教では、創世記に出てくる、天地を創造した神を唯一絶対神としている。

ユダヤ教徒は、他の宗教者を認めず、ユダヤ民族を、神によって選ばれた民であるとする思想があるとされる。それは、唯一神による、「今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって、私の宝となる。全世界は私のものだから。あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる。(出エジプト記 19章5, 6節)」という啓示にもとづくとされている。

神認識の変化 編集

イザヤ書のころより、最後の審判の教義が出てくる[注 11]

拝一神教時代 編集
唯一神教時代 編集
  • 前722年、北王国が滅ぼされる[8]。北王国の滅亡という現実から、南王国にて神の義や罪の概念が生まれ、ユダヤ教が唯一神教に変わっていったとされる[9]
  • 前6世紀前半、南王国がバビロニアによって滅ぼされる[10]。 神の唯一性が絶対的になったのは、前6世紀のバビロニア捕囚前後からとされる[11]
  • 前586年、バビロニア帝国は、ユダヤ民族のほとんどを捕囚とし、バビロニアに入植させた[12]。 捕囚時代において神殿は存在していなかったが、ヤハウェ崇拝は続けられていた[注 15]
  • 前539年、アケメネス朝ペルシアは、バビロンに無血入城し、支配下に置いた[13]
  • 前538年、多くのユダヤ人パレスチナに戻る[14]
聖書成立の開始 編集

前6世紀後半~前4世紀後半、ペルシャ時代において第二神殿の建設と聖書成立の開始が為される。この時期にモーセ五書の律法の部分が成立し、聖書が神の言葉としての強い権威を持つに至ったとされる。また、この時代に律法が作成された理由としては、ペルシャ当局の統治政策により、ユダヤ民族が従うべき掟を文書として提出しなければならないという命令が下されたことがあげられるとされる。これによって、公式に提出された律法はもはや変更できないという状況となり、政治的な権威も加わって、モーセ五書が神の言葉としての絶対的権威を持つに至ったとされる[15]

  • 紀元前458年、エズラはペルシア王の許可を得てバビロンからエルサレムに赴いた(「エズラ記」7:1、7:6、7:8、7:11-13。)エズラは、ユダヤ人社会の宗教と法の掟を統合した[16]
  • エズラが作成した絶対に変えられない神の言葉としての律法は、掟集や律法集としてではなく、物語として書かれた[17]。そのため、伝説を多く含んだ物語や、二つの物語を並べて編集した物語まで、神の言葉としての絶対的権威のもとに受け止められるようになった。

パウロの唯一神信仰 編集

ユダヤ教における天地を創造した神を唯一絶対神としている。

パウロが生きていた時代は新約旧約時代間の断絶意識は薄く、信仰と言う場合はキリスト教への改宗ではなく、旧約にもとづく敬虔という意味合いが強かったとされる[18]。パウロ自身は、盲目からの奇跡的回復という話は、記していない。パウロが、「キリストはイエスであった」と考えるようになったのは、イエスを名乗る存在の内的な啓示と、第三の天にまであげられたというある人の天界の体験[注 16]とが原因として読み取れる。ガラテヤ人への手紙1:16によれば、啓示に神の御子が現れるのをよしとしたのは神であり、その啓示の仕方は、「パウロ自身の内側に御子が啓示された」というものであった。手紙の文面では、生前のイエスと関連づけて理解したものではなく、キリストとはユダヤ教の神からくるものであった。[注 17]。パウロが書簡の中で語っていた「十字架」とは、他力的な罪の贖いという理念ではなく、自己の使命を背負って生きるという意味合いのものであった。 パウロにとっては、すでに死去したナザレのイエスが直接自身に内的な啓示によって通信してきた体験[19]が、イエスはキリストであるという信仰に至るきっかけとなった。ユダヤ教のキリストとは、これまで自分が迫害していた集団でイエスと呼ばれていた者であった、というくらいのキリスト観であった。

パウロにおける終末と新しい天地 編集

当時の教会の中には、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たちがいて、次に力ある業、次に癒しの賜物、補助の働き、指導能力、種々の異言などの順列があったとパウロはしている[20]。これらは聖霊による恵みの賜物であると記されている。当時「聖霊」とは、世の終わりに神から与えられると信じられていた「救いの霊」であると考えられていた。しかし、世の終わりでもないのに聖霊現象が信者に出現したのは、終末の賜物の先取りであり、「霊の手付金」であると信者によって受け止められていた。そしてそれらはキリストの復活で現実のものとなった、という解釈が教会内においてなされていた[21]初期のエルサレム教会に伝わっていた伝承や予言はいくつかあり、大使徒の話を聞くことは無くても、そうした伝承にはパウロも影響を受けていたと思われる。そうしたことからパウロはテサロニケ第一の手紙において、復活したイエスはキリストであり、復活は世の終わりを現実のものとするものであり、彼は自らの啓示に現れたユダヤ教のキリストであったと記した。パウロは、自分が生きているうちにやってくる主の来臨の時には、啓示に出現したキリストによって生き残ったままで救われることになったという信仰を奥義として信者に説いていた[注 18]。50年ころ、パウロはテサロニケの信者への手紙の中で、下記のような終末観を表明している[注 19]

  • 生きているうちに主の来臨がおきる。
  • 生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。
  • 生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。
  • 生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。
  • 生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる[22]

パウロの異端排斥 編集

パウロはユダヤ教時代から、分派を嫌った。イエスはユダヤ教に言われるところのキリストだとする集団 [注 20]を迫害したのも、パリサイ派としてユダヤ教の中の一派としての異端を排除しようとした行為である。分派・異端を排除することは、唯一神教に見られる特徴である。後世においてキリスト教が国教化された後にも継承されてゆく分派、異端排斥は、宗教者としてのイエスが分派・異端を仲間として容認したこととは、大きく異なっている[23]。ナザレのイエスが信仰していたのは平和の神であるとされていて[24]、パウロも手紙において平和の神という語を多用していたけれど、異端者に対しては平和的でなかった[注 21]。 イエスの啓示を受けて回心したとされた後でも、その排他性・異端排斥性に変化はなかった。手紙の中では、呪ってはならないという指導を信者に対してなしているが、これは内的な啓示で受けた言葉をそのまま繰り返しただけのようである [注 22]。異邦人への伝道をするようになっても、党派心、分裂、分派を為す者は神の国を受け継ぐことはないと説いている[25]。そして、自らの異邦人への伝道を「キリストの福音」であるとして、キリストの福音を変質しようとする者に対して呪いの言葉を記している[26][27]

パウロと、宗教者としてのイエスの教説の異なっている点は、異端排斥と並んで、終末観があげられる。イエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている[28]。なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており[29] 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、イエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた[注 23]。 ちなみに、この世の支配者に対する、裁きの時がすでに来ている例としては、聖霊を冒涜するものは永遠の罪に定められる、とするイエスの教説[30]、があげられる。これはキリスト信者を激しく迫害していたと述懐していたパウロにも十分当てはまる罪であったと考えられる。ユダヤ教徒が、ユダヤ教に精通し、義を求めて熱心に信仰しているというだけで、聖霊冒涜の永遠の罪を犯すリスクにさらされるということは不可思議なことである。また、永遠の罪というのは、原罪という枠組みを超えていて、かつ日常的な精神の悪であるようにも見える。罪からの救いを求め、信仰義認論を説いていたパウロは、書簡の中で、自分が救われるためには、あるいは救いの経験があったのは、信仰だったということを述べている。

複合的な唯一神による絶対的一神教について 編集

キリスト教 編集

詳しくはキリスト教を参照。

キリスト教の神は、ユダヤ教における天地を創造した神を唯一絶対神としている。それと合わせて、神より来るとされている霊的存在についても、唯一神としている。さらには、歴史上の人間を唯一神と同格の神として信仰している。神の子は複数の人間を指すのではなく一人の人間を指している。

啓示宗教としてみた場合、キリスト教においては、三位の神が、それぞれに啓示を下すとされている。啓示を受け取るのは、信者個々人や、教会組織がそれを受け取る。神の場合、キリストの場合、聖霊の場合、各聖人の場合があり、それを受け取る側が、神の啓示であると認識する構図となっている[注 24]

キリスト教における複合的な唯一神教の歴史 編集

ニケヤ会議 編集

若年の助祭長であったアタナシオスは、イエスと神は同じであり、同一の存在であると唱えるようになる。他方、長老アリウスをはじめとする人々は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書見解を守った。西暦325年、こうした論争を解決するための教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケアに召集された。異教徒であったコンスタンティヌスはこの会議において,アタナシウスの側を支持した。その結果、聖書に忠実に従おうとしたアリウスの述べた見解は異端と宣言された。

絶対的一神教としてのキリスト教各宗派 編集

キリスト教系新宗教における絶対的一神教 編集

セブンスデー・アドベンチスト教会 編集

エホバの証人 編集

エホバの証人における神は、ユダヤ教の唯一の神と同じとされている。神より来る霊的存在や、救済者については、キリスト教と同じで、これらも唯一神であるとされている。キリスト教との相違点は、この世における、この組織の頂点に位置する統治体のうえに、イエスキリストが臨在しているという点である。

エホバの証人の信仰している神の呼び方はエホバであるとしている。 エホバ神は、旧約聖書でいうヤハウェのことである。エホバ神は、「最後の時」を、1914年から起こしたとされている。エホバの証人の組織は、その観念への対応から初期の聖書研究会によって構築されたものであるが、統治体の上にのみイエス・キリストが臨在しているとしている[注 25]。その、神とイエスの啓示が、信仰の基盤とされている。実際の信仰生活において、ヤハウェと、エホバの神との大きな違いは、「最後の時」を発動しているかどうかというところにあるといえる。

また、統治する王イエス・キリストは、これまでのキリスト教世界について、現行のキリスト教は、自分の父なる神の敵対者とみなしているとしている[32]

その他のキリスト教系新宗教 編集

末日聖徒イエス・キリスト教会 編集

ユダヤ教における天地を創造した神を唯一神としている。天の父とされる唯一神は、完全な肉体を持っているとされている。神より来る霊的存在は、唯一神とは別個の存在であるとされている。人間として生まれた救済者は、唯一神の長子であるとされている。新約聖書とは異なる一冊の聖なる書物を神より啓示されたとしている。(その原本は現在存在していない。)また、教祖は預言者であるとされている。

その他 編集

その他の絶対的一神教 編集

ゾロアスター教 編集

唯一神教が影響した他国侵略の歴史 編集

キリスト教が影響した他国侵略の歴史 編集

イスラーム教が影響した他国侵略の歴史 編集

預言者ムハンマドの在世中から、アラビア半島を征服したイスラーム教徒は東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアに狙いをつけていた。イスラーム側の伝承によれば、預言者ムハンマド自身、東ローマ帝国やサーサーン朝に使者を送り、イスラームへの改宗を求めたが、拒絶されたためこれらの国々を征服することを決意したとされている。

第二代カリフのウマルの領土拡大について、それは、神から世界征服を命じられた、というようなものではない、ということである[33]。イスラーム教が支配する前の時代において、アラブ人は、砂漠で生き延びてゆくために、部族と部族とが闘争し、略奪を行ってきた。それによって、彼らは不足している生活物資を補ってきたとされる。しかし、イスラーム教の方針により、ウンマに属する部族どうしの略奪行為が禁止されたため、彼らは、国内では略奪行為ができなくなった。そこで、略奪による利益と、ウンマの統一を守るという共通の目的のために、ウマルは、近隣諸国に次々に略奪を仕掛けることとなったとされる[34]

第二代カリフウマルの時代、彼が略奪戦争を始めたことにより、シリアパレスチナエジプトの全土を支配下に置くことになった。ウスマーンの時代には、それからさらに領土は拡大していった[34]

ユダヤ教が影響した他国侵略の歴史 編集

イスラエル建国。ユダヤ人は1948年イスラエル独立宣言を行った。

末日聖徒イエス・キリスト教会 編集

ユタ戦争を参照。

唯一神教が影響した異端排斥の歴史 編集

キリスト教が影響した異端排斥の歴史 編集

  • 1309年、貧者十字軍は、各地で強盗掠奪騒動を起こした。この詳細については、貧者十字軍を参照。
  • 1209年 - 1215年、アルビジョア十字軍は約1万人の住民をアルビ派であるか否かにかかわらず無差別に殺戮した。この詳細については、アルビジョア十字軍#初期を参照。
  • 1633年、地動説を唱えたガリレオは有罪となる。地球が動くという説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文を、ガリレオは読み上げた[注 29]。この詳細については、ガリレオ・ガリレイ#第2回の裁判を参照[注 30]

イスラーム教が影響した異端排斥の歴史 編集

多神教徒との戦闘については、ムハンマドの時代より始まる。

スーフィズムに対する弾圧。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 霊感商法団体等においても、絶対的一神教の条件を備えている場合がある。これは、その教団が、マインドコントロール手法によって、教祖や教義の絶対性を高めたものと見ることができる
  2. ^ そのため、神は、「我々(アッラー)は、ある一つの節を取り消したり、または忘れさせたりすることがある。」という啓示を下した(出典 コーラン2章 106節)
  3. ^ 一般的には、神の重要な属性としては、慈悲・真・・約束を守る・啓示に矛盾がない、などがあるとされるので、啓示に矛盾があるのはおかしいと考えられる(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店1991年 P88)。クルアーンには誤りがないとか、預言者に誤りはないというのは、帝国となった後の為政者が決めたことである。
  4. ^ 「座して全存在を支配している人格神」というのは、旧約聖書のイザヤ書(14章)や、新約聖書の使徒行伝やヨハネによる黙示録に出てくる「神の座に座す唯一神」に該当するといえる。
  5. ^ メディナ期では、ムハンマドの問題提起に応じて、神の「お答」が下されるという、弛緩して身体的にもゆるやかな散文形式の啓示であったとされる。それとは異なり、最初期の啓示の文体は、荘厳で詩的なものであったとされる。(出典『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年 P300 解説)
  6. ^ メディナ期の啓示は、自分は天使ガブリエルであると主張する見えない霊的存在が、語っていると解釈されている。彼は、自分が語っている言葉は神から伝達された言葉なのだ、と主張することによって、信者からの絶対的帰依を確立した、と解釈することが出来る。その、信者による絶対的な帰依は、神のみにとどまらず、啓示を担当していた見えない霊的存在にまで及んだ。「ジブリエールに敵する者は神の敵。」(出典『コーラン 上』井筒俊彦 岩波書店 1957年 P27の注)「ムハンマドが語ったクルアーンを信仰しないということは、その人は、ジブリエールに敵対する人である」と、ジブリエールは伝達した。更にまた「ムハンマドが語ったクルアーンを信仰しないという人は、神に敵対する人であることになる」という啓示もある。(出典『コーラン 上』井筒俊彦 岩波書店 1957年 P28の注)
  7. ^ メディナ期において、信者は、まず第一に預言者と倫理的な関係を結ぶように変化したとされる。そして、この預言者との契約を通じて、それによってはじめて信者は、神との契約に入るという構造に変化したとされる(出典『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年P107)。預言者は、神の代理人のように変化した。
  8. ^ メディナ期において、来世は最後の審判以後の世界を指すようになる。
  9. ^ イスラーム教では、信条や教義が、キリスト教ほど重要ではない。五行さえ守っていれば誰もがムスリムである、とする見解がある(出典『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 2017年 P88)そのため、平和的なスーフィズムを異端として処刑する一方で、テロを行う過激派をムスリムとして扱う場合がある。
  10. ^ およそ予言者たるものは、地上の敵を思う存分殺戮した後でなければ、捕虜など作るべきではない(8章 67節)、という啓示もある。
  11. ^ 最後の審判の思想は、旧約聖書の預言者イザヤの時代に現れてきたとされる。そこでは、未来に神の裁きがなされる時、悪人どもは滅ぼされ、弱いものや虐げられてきたものは、滅ぼされず、残されるとされる。そして、残った者によって、「新しい世界」が完成されるとされている。(出典『《生命》の倫理ー構造倫理講座Ⅲ』中村元 春秋社2005年P12)
  12. ^ ヘブライ聖書における神観念は、初期には拝一神教であった。(出典 『岩波キリスト教辞典』P869 拝一神教の項目 山我哲雄)(サム上26:19、士11:24、出20:2)
  13. ^ この段階ではまだ拝一神教として信仰されており、創造神(唯一神)には変わっていなかった。次のソロモン王の時代になると、他の神々への崇拝が行われるようになった。(出典 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P54~P57
  14. ^ ダビデ王は十戒を刻んだ石板の入った契約の箱エルサレムに安置したとされる。(出典 『岩波キリスト教辞典』P158 エルサレムの項目 黒川知文)
  15. ^ このことから、後に聖書となる文書集と神殿との位置づけが変わっていったとされる。(出典『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P86)
  16. ^ ある人とはパウロ自身のことであるとされている。(出典『新約聖書』岩波書店P571 コリント第二の手紙12:2における注3 青野)
  17. ^ パウロは神中心主義であるとされている。『新約聖書』岩波書店P508(コリント第一の手紙3:23における注1 青野)
  18. ^ 再臨の時まで生き残るというのは、パウロの確信であるとされている。『新約聖書』岩波書店P546(コリント第一の手紙15:51における注6 青野)
  19. ^ 結果的には、主の来臨が来なかったことにより、信者に説いていた真理は「実現しなかった予測」にとどまることになったが、これは主の言葉として伝承されてきた初期キリスト教の預言者の言葉である可能性が大であるとされている。『新約聖書』岩波書店P494(テサロニケ第一の手紙4:15における注11 青野)
  20. ^ キリスト者という語が使われた時期は1世紀の終わり頃とされる。『新約聖書』岩波書店P426(使徒行伝11:26における注5 荒井)
  21. ^ パウロが平和の神の語を使用している箇所は、コリント人への第一の手紙14:33、コリント人への第二の手紙13:11、フィリピ人への手紙4:9、ローマ人への手紙15:33がある。(『新約聖書』岩波書店P667ローマ人への手紙15:33における注22 青野)他に、テサロニケ第一の手紙5:23もある
  22. ^ 呪ってはならないという言葉は、パウロが実際に啓示で受け継いだイエスの言葉を引用している可能性があるとされている『新約聖書』岩波書店P658ローマ人への手紙12:14における注11 青野
  23. ^ 再臨の時まで生き残るというのは、パウロの確信であるとされている。『新約聖書』岩波書店P546(コリント第一の手紙15:51における注6 青野)
  24. ^ 三位一体の教義は、歴史上の人物そのものが神の啓示であるとする思想につながっている。また、聖典編集者が聖霊に満たされて追記した文章についても、これを神の啓示と同等のものとして、信者の編集を神の啓示であると認識する場合がある。
  25. ^ 1914年10月1日ごろに天で戦争が起こり、それに負けたサタンとその配下の悪霊たちは,地の方向に急速に追い落とされたとされている。イエス・キリストは、現在統治体の上に臨在し、統治体にのみ各種の通信を送っているとされる。イエス・キリストの目に見えない「臨在」は、異邦人時代の終わった1914年に始まったとされ、それ以後の期間が「終わりの日」に相当するとされている。[31]
  26. ^ 「家庭連合」、旧称「世界基督教統一神霊協会」(「統一協会」または「統一教会」)、韓国では「統一教」。
  27. ^ 摂理
  28. ^ 原始福音。神道とキリスト教を融合。
  29. ^ ガリレオは、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュートンと並び、科学革命の中心人物とされている。
  30. ^ 異端排斥は天体科学への障害ともなっていた。異端尋問は、中世=暗黒時代観やジャンヌダルクの刑死とも関連が深い。

出典 編集

  1. ^ ブリタニカ百科事典【一神教】
  2. ^ 『コーラン 1』中央公論新社 池田修前書き・イスラームの聖典 P27
  3. ^ 『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年
  4. ^ 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P357 下村
  5. ^ 講談社現代新書加藤隆著『一神教の誕生』P49
  6. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著 P50
  7. ^ 『旧約聖書〈Ⅱ〉』出エジプト記 レビ記、岩波書店2000年出エジプト記の解説P402 木幡藤子
  8. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著 P52
  9. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P72
  10. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P60
  11. ^ 岩波キリスト教辞典P869 拝一神教の項目 山我哲雄
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  14. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P82
  15. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P88~P90
  16. ^ 『旧約聖書人名事典』ジョアン・コメイ著、東洋書林、1996年、93-97頁
  17. ^ 『一神教の誕生』講談社現代新書 加藤隆著P118
  18. ^ 『新約聖書』岩波書店P726テモテへの第2の手紙1:5における注2 保坂
  19. ^ ガラテヤ人への手紙1:16
  20. ^ 『新約聖書』岩波書店P534(コリント第一の手紙12:28における注9 青野)
  21. ^ 『新約聖書』岩波書店 補注 用語解説P24 聖霊の項目 新約聖書翻訳委員会
  22. ^ テサロニケ人への第一の手紙 4:15
  23. ^ マルコによる福音書9:38
  24. ^ マタイによる福音書5:9
  25. ^ ガラテヤ人への手紙5:20
  26. ^ ガラテヤ人への手紙1:8
  27. ^ ニカイヤ信条参照
  28. ^ 『新約聖書』岩波書店P495(1テサ5:1の注19 青野)
  29. ^ 『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P55、P57
  30. ^ マルコ3:28
  31. ^ 復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きる
  32. ^ 聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力 p. 138
  33. ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 P39
  34. ^ a b 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 P36