績子女王(いさこじょおう、1885年明治18年)10月17日 - 1886年(明治19年)9月22日)は、明治時代の皇族

績子女王
有栖川宮

身位 女王
敬称 殿下
Her Imperial Highness
出生 1885年10月17日
死去 (1886-09-22) 1886年9月22日(0歳没)
父親 有栖川宮威仁親王
母親 前田慰子
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生涯 編集

1885年(明治18年)10月17日午後6時、威仁親王同妃慰子の第1子長女として誕生し、10月23日の御七夜で「績子」と命名された[1]

1886年明治19年)9月22日、績子女王は脳水腫を発症し、9月30日に薨去した[2]。満0歳、数え年2歳であった。

参考文献 編集

  • 威仁親王行実編纂会『威仁親王行実』 上、威仁親王行実編纂会、1926年。全国書誌番号:43052156 

脚注 編集

出典 編集