美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年昭和10年〉5月15日[1] - )は、日本歌手俳優演出家タレント声優コメンテーターナレーターとしても活動している。

美輪 明宏
撮影時期不明(原典では1950年代とされる)
基本情報
出生名 丸山 臣吾まるやま しんご(幼名)
別名 丸山 明宏まるやま あきひろ(本名及び旧芸名)
生誕 (1935-05-15) 1935年5月15日(88歳)
出身地 日本の旗 日本長崎県長崎市
学歴 海星中学校
ジャンル シャンソン
職業 シンガーソングライター
俳優
演出家
タレント
声優
担当楽器
活動期間 1952年 -
レーベル キングレコード
事務所 オフィスミワ(自営)
公式サイト o-miwa.co.jp

長崎県長崎市出身。本名及び1971年までの芸名は丸山 明宏(まるやま あきひろ)、幼名は臣吾(しんご)。愛称はマルさん。

海星中学を経て国立音楽大学附属高校中退。兄と姉と弟のいる五人兄弟の次男。自らの個人事務所である「株式会社オフィスミワ」所属。身長161cm

略歴 編集

長崎時代(1935年5月15日- 1951年) 編集

1935年昭和10年5月15日水曜日)、長崎県長崎市において、丸山作一・ヌメの間に、5人兄弟の次男として誕生する。

美輪の実家は、長崎市内の「丸山遊廓」と呼称された遊廓の近くで、「世界」という名前のカフェーや料亭を経営して成功を収めており、経済的に豊かな環境で育った[2]1941年12月、イギリスアメリカ合衆国との戦争体制に入った中で父親は「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」と言われて、やむ無くカフェーを閉店せざるを得なくなり、金融業に転業する。

1945年昭和20年)8月9日、雲1つない快晴の日、長崎県長崎市本石灰町にある自宅において、当時10歳の美輪は窓際で夏休みの宿題に御伽草子の「万寿姫」の絵を描いていた。絵の仕上がりを確認するため、2、3歩後方に下がった時、何千ものマグネシウムを焚いたような白い光をみた。その直後に、激しい爆発音が聞こえ、家がぐらぐら揺れて傾いた。それは原子爆弾によるものであった(長崎市への原子爆弾投下)。女中に促され2人で布団をかぶるとすぐさま空襲警報が鳴りだし、その後爆風で机の下に飛ばされていた兄を起こして、3人で防空壕に向かった[3]。6日後の終戦の日に爆心地近くにあった生母の実家へ祖父母を1人で探しに行き、惨状を目の当たりにする[注釈 1][注釈 2]

原爆により、父の貸付先が相次いで破産・他界したため、返済を受けられなくなった美輪一家は貧乏生活を余儀なくされた。その前に美輪の父の後妻が他界しており、父の後々妻も失踪する等の不幸に見舞われ、美輪は幼い異母弟達と辛い日々を送ることとなった。

終戦後、自身が鑑賞した映画に出演していた加賀美一郎ボーイソプラノに衝撃を受け、程無くして、声楽とピアノのレッスンを受け始める。海星中学校では、同期に西岡武夫がいた。

歌手 丸山明宏 編集

 
日本劇場で「メケ・メケ」を歌う美輪

エンリコ・カルーソーベニャミーノ・ジーリの様なオペラ歌手、コンサート歌手を夢見て、1951年の春、15歳の美輪は、国立音楽高等学校(現・国立音楽大学附属高等学校)に進学するため上京する。ある時、帰省した際に、父が生活が苦しくなった親戚に対して無情に見捨てるような態度をとったことに激怒し、大喧嘩した。父から絶縁を言い渡され、仕送りも当然ながら止められた。美輪は東京で自活するために高等学校を中退、生活費を稼ぐために進駐軍のキャンプ廻りをして歌を披露した。2015年時点で「芸歴64年、1951年(昭和26年)に進駐軍のキャンプ廻りでジャズを歌いギャラを頂いたことがプロとしての始まり」と本人が語っている。新宿駅で寝泊りしていた時期もある。

1952年、17歳になった美輪は、ゲイバーやバーテンなどのアルバイトにも従事して日当を稼いでいた。その頃、銀座7丁目にあるシャンソン喫茶「銀巴里」(1951年 - 1990年)で美少年(ボーイ)兼歌手募集の張り紙広告を見て応募。シャンソン喫茶「銀巴里」と歌手として専属契約を交わし、国籍・年齢・性別不詳として売り出す。次第に人気を博し、三島由紀夫吉行淳之介野坂昭如大江健三郎中原淳一遠藤周作寺山修司なかにし礼等、文化人の支持を得る。歌手としての道を歩み始めた頃、父は事業に失敗し、美輪のもとを訪ねて金の無心をしてきた。かつての、父の親戚への無情な仕打ちと同じことを美輪が出来るはずもなく、かといって父を許せない気持ちが消えるはずもなかったが、兄弟の生活を守るために美輪は銀巴里での歌手活動とは別にアルバイトと称してキャバレーや進駐軍キャンプで歌った。

1957年、シャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーし、艶麗な容貌で、シャンソンを歌い上げ、一躍人気を博す。元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏いユニセックスファッションと[注釈 3]、三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛した美貌で、マス・メディアから「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡する[4]。同じ、1957年製作の映画『暖流』(増村保造監督。大映)に歌手として出演している。

「メケメケ」以来のブームは、1年程で沈静化。その間に、週刊誌にて、自身が同性愛者である事を公表したことや、旧来のシャンソンのイメージ(美輪曰く「蝶よ花よ、星よ月よに終始する“おシャンソン”」)に無い、自ら和訳した生々しい内容のシャンソンを歌唱した事に対する反発もあり、人気は急落する。そんな逆風の中、作詞・作曲活動を開始。今もって美輪の主要なレパートリーとなっている「うす紫」、「金色の星」、「ふるさとの空の下」等の音楽作品は、この頃、既に作詞・作曲していた。しかし、その活動は当時の聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、レコード化すらできなかった。美輪曰く「人様の情けに生かされた」不遇の時代が続くと共に、吐血等の原爆症に悩まされ始める事になる。

しかし、1963年には、中村八大らの助力により日本初となる全作品、自らの作品によるリサイタルを開催。翌、1964年には、「ヨイトマケの唄」を初めてステージで披露する。1966年、前年の内にレコード化された「ヨイトマケの唄」(「ふるさとの空の下で」とのカップリング)が注目され、人気が再燃する。

俳優 丸山明宏 編集

1967年、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷旗揚げ公演で、寺山が美輪のために書き下ろした舞台作品『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に主演する。

1968年、自叙伝『紫の履歴書』を発表する。(初版は大光社より)

江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本の舞台作品『黒蜥蜴』に主演して以降も、『椿姫』、『マタ・ハリ』、ジャン・コクトー原作『双頭の鷲』といった舞台や『黒薔薇の館』、『雪之丞変化』等の映画・テレビドラマでの主演を続ける。また、1970年からは、TBSラジオラジオ身の上相談」を担当し、芸能人が担当する人生相談としては、異例の25年という長期に渡り続いた。

美輪明宏への改名と体調の悪化 編集

1971年、読経中に『美輪』の字が浮かび、神が与えてくれた名前だと思い、姓名判断を調べると、完全無欠な画数だったため、丸山明宏から美輪明宏に改名[5]。「女優引退宣言」(女性役を演じなくなるので、当時こう表現された)を行い、歌手活動に専念する。銀巴里や渋谷ジァン・ジァンでのライヴや全国各地でのリサイタルを精力的に行い、『白呪』(1975年)等のアルバムも多数発表した。また、男性役では、映画(1977年 井上ひさし原作『日本人のへそ』)やドラマ(1976年『さくらの唄』)に出演している。

1978年枯葉の寝床』(原作 森茉莉)で舞台活動を再開するが、幼い頃より中華料理イタリア料理肉料理中心で食生活を過ごしてきたことによる影響が出始める。この頃より慢性気管支炎も発症、年々悪化。俳優、歌手活動に支障を来たし始め、トークショー等のテレビ出演を控える様になる。しかし、その後も演劇では、1979年エディット・ピアフの生涯を描いた、自作自演となる『愛の讃歌』を初演したり、1980年のTVアニメ「メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行」では夜の女王役を演じている。

1983年には、舞台『毛皮のマリー』や『青森県のせむし男』を再演。更に1984年には、『双頭の鷲』を再演するが、体調は悪化する一方で、1985年の『大典礼』(原作・演出 フェルナンド・アラバール)を最後に1993年の『黒蜥蜴』再演まで舞台から遠ざかった。この頃の通院時に医師からは「3ヶ月の命かもしれない」と告げられたこともあったという(1989年3月6日放送「笑っていいとも!テレフォンショッキング」より)。

歌手としては、1984年にパリで、1987年には、パリ、マドリードシュトゥットガルトでリサイタルを開催し、『ル・モンド』、『リベラシオン』を始め多数の新聞・雑誌に紹介・絶賛された。また、1986年からはPARCO劇場でのロングリサイタルが開始され、それ以外にも、全国各地でのリサイタル公演を開催し、舞台に立てなくなった後も切れ目なく活動を続けた。

1990年東京芸術劇場こけら落し公演『マリー・ローランサン』を演出。この時、既に『黒蜥蜴』再演の企画は持ち上がっていたが、体調面から断念している。また、この年、40年近く唄い続けて来た銀座のシャンソン喫茶店・銀巴里が閉店となり、美輪は最後の日の「さよならコンサート」で自ら作詞作曲した『いとしの銀巴里』を涙ながらに歌い上げた。この模様を各メディアは挙って大きく報じ、また翌1991年の映画『黒蜥蜴』のニューヨークでのヒットなども重なり、美輪が曰く、この頃から、「メケメケ、ヨイトマケ、黒蜥蜴に続く四回目のブーム」の時期が訪れ、テレビやCM等への出演が増えた。

黒蜥蜴再演 編集

1993年、1985年の『大典礼』以来、舞台に立てない程に悪化していた持病が、前年に奇跡的に完治した事で、24年ぶりに待望の『黒蜥蜴』を再演[注釈 4]。前売りのチケットは発売日当日に完売する等、世間から脚光を浴びた。また、この再演時には、自ら主演、演出、美術、衣装、選曲を担当。以降、上演される舞台は、1994年、1996年の『毛皮のマリー』以外、全て美輪自身の演出となった。自身が、大道具、小道具、美術・衣装・選曲を務める事が多く、脚本・振り付けを担当した作品(美輪明宏版「椿姫」)や原作まで担当した作品(「愛の讃歌」)もある。

1994年には、海外から演出、照明、音楽等、当代一流のスタッフを招き、舞台『毛皮のマリー』を再演。この形式は、1996年の再演時にも継承されるが、美輪曰く「演出があんまりひどい時は、私が手直しした」との事で、結局、2001年の再演では、自ら演出する事となる。キャストも美少女を含め、全員男性で演じる本来の形式に戻された。

1996年、三島由紀夫が30年来熱望していた美輪演出・主演による『近代能楽集より、葵上卒塔婆小町』を上演。三島を歓喜させた当初のプラン通り、葵上では、舞台デザインにサルバドール・ダリ尾形光琳を取り入れ、音楽は、武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』を取り入れ、99歳の老婆から19歳の美女への早替り(卒塔婆小町)など趣向を凝らした舞台となる。また、その年の秋には『愛の讃歌』を17年ぶりに再演した。

声優としても活動 編集

1997年、13年ぶりの『双頭の鷲』再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞。宮崎駿監督アニメーション映画『もののけ姫』では、山犬神、モロの君の役で声優を務め、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞する。「黙れ小僧!」は特に印象的な台詞として多くの人に記憶された。

1998年には、『葵上・卒塔婆小町』を再演、秋にはデュマ・フィス原作「美輪明宏版 椿姫」を30年ぶりに再演する。この年2本の芝居を上演したのを最後に、翌年の『双頭の鷲』以降、舞台作品は年1本の上演ペースとなる。一方、美輪が舞台活動を再開した1993年以降、芝居のスケジュールとの調整が必要となり公演がない年(1996、1997年)もあったPARCO劇場でのロングリサイタルは1998年以降「音楽会」と名を改め、毎年行われる様になる。以来、美輪のステージは春先の芝居、秋の音楽会で定着した。

2000年、銀巴里閉店後、唯一のライブ活動の場となっていた渋谷ジァン・ジァンが閉場となり、2000年3月29日が美輪のジァンジァンにおけるラストライヴとなった(閉場は2000年4月25日)。そして、エディット・ピアフの生涯を描いた舞台『エディットピアフ物語愛の讃歌』を上演。また、この年、アルバム『白呪』が再発売される。桑田佳祐フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん』内で『ヨイトマケの唄』を歌ったのもこの年である[注釈 5]

2002年に芸能生活50周年を迎える。この年には、三島由紀夫の三十三回忌に際して、『近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町』を再演している。(相手役は宅麻伸

2004年にジブリアニメ映画のハウルの動く城で「荒れ地の魔女」の声を演じる。

2005年には、テレビ番組『オーラの泉』が始まり、「愛の伝道師」として出演している。

2006年、美輪明宏原作、演出、美術、衣装、主演、舞台『エディットピアフ物語愛の讃歌』を再演。

2007年、美輪明宏携帯サイト「美輪明宏 麗人だより」を開設。

2009年劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ(劇場版ポケモン第12弾)でアルセウスを演じる。

2010年、三島由紀夫原作の舞台『近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町』を再演。(相手役は木村彰吾、岩田知幸

2012年、『第63回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、「ヨイトマケの唄」を歌った。77歳での『NHK紅白歌合戦』初出場は史上最年長で、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。歴代出場者全体の年齢から見ても、1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[6]

2013年1月24日発売の「週刊文春」で、約8年前に自身の個人事務所「オフィス・ミワ」社長と養子縁組している事が報じられた[7]。美輪の17歳年下で、文学座の研究生だった17歳の頃、美輪の付き人が辞めることとなり、知人の紹介で付き人となって以来、身の回りの世話をするようになった。その後は『青年座』や『青俳』などに在籍、NHK大河ドラマ『黄金の日日』にも出演経験があり、声優としても活動していた(芸名:藤堂貴也)。「オフィス・ミワ」前社長が高齢の為退任した後、社長に就任し、名実ともに美輪を支えてきた。『第64回NHK紅白歌合戦』に出場し、藤山一郎の持つ最年長出場に並んだ。

同じく2013年、フランス人の映画監督による美輪明宏のドキュメンタリー映画が作られ、DVDにもなった。ナレーションはフランスの産業大臣の夫人が担当した。

2014年4月から、美輪明宏主演の舞台『愛の賛歌〜エディット・ピアフ物語』がリバイバルで全国公演される。前回の公演ではこの舞台を見た瀬戸内寂聴が感激して楽屋を訪れ、「私は今まで映画や舞台をたくさん見てきたが、この芝居が一番感動した」と言って号泣したという。同じく、この舞台を見た東山紀之も感激して美輪の楽屋を訪れ、「僕、今まで自分がこんなに泣けるとは思わなかったですよ」と言い号泣したという。同年『第65回NHK紅白歌合戦』に出場し、史上最年長出場記録を打ち立てた[注釈 6]

2015年、『第66回NHK紅白歌合戦』に出場を果たし(翌年落選し、これが最後の出場となっている)、自身の持つ史上最年長を更新すると同時に史上初の80代での出場となる。なお、当時80歳での美輪の出場は正規枠では最年長出場記録を保持しているものの、正規出場者以外では2010年の『第61回NHK紅白歌合戦』に当時83歳で出演した熊倉一雄がいる。

2018年、東京都名誉都民に顕彰される[1]

脳梗塞からの回復 編集

2019年9月11日、軽い脳梗塞を発症し入院[8]。舞台公演が中止になる[8]。その後入院から約2か月後の2019年11月17日、TBSラジオ「美輪明宏薔薇色の日曜日」にて仕事復帰。同年12月17日に東京西新宿で行われた「明治きのこの山・たけのこの里国民総選挙2019」の結果発表会に出席し公の場での復帰を果たす。

2022年第73回NHK放送文化賞を受賞[9]

人物 編集

  • “日本初のシンガーソングライター”と自称している(ただし、加山雄三も“日本初のシンガーソングライター”を自称している)。
  • 昔、ラジオで人生相談の番組を長年担当していた(詳細は略歴「俳優 丸山明宏」の節を参照)。
  • 敬愛するエディット・ピアフのサイン入りの古いレコードを持っている。これはフランス人の映画監督からお土産としてもらったものである。
  • 中性的な風貌から、『ウルトラQ』の第16話の準備稿ではセミ人間のイメージキャストとして“丸山明宏”(美輪の本名)が挙げられている[10]
  • 2011年3月28日、『徹子の部屋』に出演した際には、「いろんな病気をして来て肺を患った時、30代で一気に白髪になった」旨の発言をしている。その後長らく髪の毛を黒く染めていたが、1998年頃より風水に基づき黄色く染めロング・ヘアーにしている。
  • 「好きな食べ物は?」との質問に、「人の悩みを食べて、涙を飲んで生きてるの」と答えた[11]
  • 長年、『法華経』を信仰し、池上本門寺朗子会館で人生相談のボランティアをしていた。恋愛相談などにも乗っているが、本人は独身を貫いている。
  • かつては日産フィガロを愛車にしていた。

交友関係 編集

  • 長崎海星中学校時代の同級生に西岡武夫(第28代参議院議長)が居り、両者は西岡が亡くなるまで親交が深かった。美輪は、西岡の荒々しい性格と行動力に一目置いていた事や、西岡の純粋さを好んでいた事を語っている[12]
  • 銀巴里時代から数多くの作家(三島由紀夫、江戸川乱歩川端康成澁澤龍彦吉行淳之介瀬戸内寂聴藤島泰輔なかにし礼大江健三郎等)や画家(東郷青児中原淳一横尾忠則等)、演劇人(十七代目中村勘三郎十八代目中村勘三郎杉村春子初代水谷八重子二代目水谷八重子赤木圭一郎田宮二郎寺山修司蜷川幸雄五代目坂東玉三郎渡辺えりなど)、作曲家(池辺晋一郎など)、歌手(フレディ・マーキュリー吉井和哉等)と交流を深める。
  • 薔薇族』初代編集長の伊藤文學とは、同誌創刊時(1971年)に美輪が第二書房を訪れて祝福する等の間柄であった。その時、美輪はロールスロイスを運転して、ボロ家の第二書房に買い行き、その数年後には、豪華な門灯を贈っている[13]。伊藤は1970年代半ばに美輪が新宿5丁目のQフラットビルに開いたクラブ「巴里」の客であり、巴里に触発された伊藤は同じビルの向かいに「談話室 祭」を開店させている[14]。2005年4月には『薔薇族』復刊号で美輪と伊藤は対談している。
  • スピリチュアルカウンセラー江原啓之に信頼を置き、霊能者木村藤子とも親交関係を築いており、金銭目的で占い師、霊能者を自称する輩が殆どである中で「数少ない本物」であると認めている[15]
  • 奥山和由の監督作品『RAMPO』を絶賛しており、奥山が松竹を追放された後に、設立した会社「チームオクヤマ」の名付け親になるなど応援し続けている。
  • 華道家の假屋崎省吾は美輪明宏のおっかけ(本人公認)を自認しており、美輪から「美を紡ぎ出す手を持つ人」と評されたことを誇りにしている。
  • 交友関係にあった作曲家・古賀政男の最後の門下生であった佳山明生の名付け親でもある(本名の丸山明宏より苗字と名前のそれぞれ一文字ずつとったもの)。
  • 1994年に刊行された社会民主党前党首の福島瑞穂参議院議員(当時はまだ国会議員ではない)との対談では、意気投合し、美輪の側から食事に誘い、交流を続けていくことで一致して終わっている[16]。2013年の福島のツイッター上の投稿では、新幹線の車内で美輪が福島に声をかけ、社会情勢について意見交換をしたエピソードが紹介されている[17]
  • 水木しげるとも交流があり、美輪は水木の絵や漫画が大好きで、1998年には、水木の作画活動50周年を記念して刊行された『水木しげる妖怪原画集 妖鬼化(むじゃら)』(ソフトガレージ出版)で美輪は水木と対談もしており、妖怪音楽幸福・吉凶禍福・人生の体験など幅広い談義となり、2002年に刊行された美輪の著書の一つである『ああ正負の法則』(パルコ出版)でも、美輪はこの時の水木との対談や同じ意見を述べている。
  • しかしその一方で同じLGBTの当事者であるおすぎとピーコに対しては、おすぎが口にする「どうせ私たちはオカマだから。」という物言いに対し、「自分は同性愛に対する偏見に対して闘ってきたのに、あの二人はテレビで、偏見に満ちた蔑称である“オカマ”と言う言葉を自分達から連呼して、あえて笑われ者になる事で、同性愛者への偏見を助長している。折角同性愛が市民権を得てきたのに、歴史が逆戻りする事になる。その根性が実に卑しい。消えてしまえばいい。この、馬鹿者どもが!」と厳しく批判、「昔はコンサートや舞台公演等に招待していたが、今は絶縁している。」と語り、ある時期から会っていない事を公表している[18]

その他 編集

  • 講談社発行の月刊誌「現代」で、2007年9月号から2008年1月号までノンフィクション作家・豊田正義が、美輪明宏の評伝を連載した。タイトルは『オーラの素顔』。美輪の少年時代から始まり、赤木圭一郎との哀恋、三島由紀夫や寺山修司との芸術的交流、江原啓之との出会い、『オーラの泉』の裏話まで、美輪の人生が精緻な取材で描かれており、単行本化されている。
  • SAPIOのインタビューで、楯の会の青年が楽屋にきたことがあり、いきなり「申し訳ありませんっ」と土下座したという。美輪が「どうなすったの?」って聞いたら、「三島先生や川端(康成)先生のような方がオカマごときのファンなのはけしからんから、いいかげんなものだったらメチャクチャにしてやろうと思った」という。でも彼は、「コンサートは泣けて仕方なかった。天才たちがファンになったのは分かりました。申し訳ない」と言われたという。
  • 三島由紀夫は、「君の欠点は、僕に惚れないことだ」と言っており、映画『黒蜥蜴』では、美輪とのキスシーンがあるとの事で台詞のない役を引き受けたほどであった。ある時、美輪のコンサートにバラの花束を直に差し入れに来たが、ただならぬ様子があったものの問いただすことが出来なかったという。そして、三島由紀夫事件が起きて、これが今生の別れとなってしまったという。
  • 2015年に成立した平和安全法制に反対の姿勢を表明しており、さらに安倍晋三を指して、「安倍首相自民党に投票した人もまず自分が戦地に行きなさい」と述べている[19]
  • 近年、台湾ではある女性のSNSを発信のきっかけによりスマートフォンの待ち受け画面にしておくと願いが叶うなど幸運が重なるとして、幸運の象徴になると話題になり、人気が上昇している。

作品 編集

シングル 編集

  1. メケ・メケ/ジェルソ・ミーナ(1957年 SB-31、日本コロムビア
  2. ジョリー・シャポー/目を閉じて(1957年 SB-35 )
  3. 蟻の街シャンソン / 指男 (1959年)
  4. ヨイトマケの唄/ふるさとの空の下に (1965年 BS-261、キングレコード )
  5. 太陽が大好き / 兄弟
  6. 湯どうふの唄/トニーの唄(1966年)
  7. 雪国の女ごころ/哀しみの中から(1967年 BS-642 )
  8. 黒蜥蜴の唄 / 息子よ (1968年)
  9. むらさき小唄/大江戸出世小唄(1970年4月10日 SN-941、テイチク)テレビドラマ「雪之丞変化」主題歌)
  10. 東京娘/人生の並木路(1971年)
  11. ヨイトマケの唄 / メケ・メケ (1973年 BS-1725 、キング)ベストカップリングシリーズ)
  12. 昼メロ人生/砂漠の青春(1983年4月)
  13. ヨイトマケの唄 / ラストダンスは私と (1998年12月23日)
  14. 特選・歌カラベスト3 ヨイトマケの唄/いとしの銀巴里/人の気も知らないで(2003年10月1日)
  15. 特選:歌カラ1000 ヨイトマケの唄/別れ話(2010年10月27日)
  16. ヨイトマケの唄/愛しの銀巴里/愛の讃歌(2012年3月7日) - オリコンシングルチャート200位(2013年1月21日付)
  17. ヨイトマケの唄/ふるさとの空の下に (2013年10月23日)
  18. 愛の讃歌/群衆 (2014年10月22日)
  19. 特選・歌カラベスト3 老女優は去りゆく/愛の贈り物/ヨイトマケの唄(2017年1月11日)
  20. 特選・歌カラベスト3 ヨイトマケの唄/愛の讃歌/ふるさとの空の下に(2018年11月21日)
  21. 特選・歌カラベスト3 ヨイトマケの唄/愛の讃歌(日本語バージョン)/愛しの銀巴里(2020年8月5日)

オリジナル・アルバム 編集

  1. ヨイトマケの唄 (1966年・SKK-167、2021年11月17日)
  2. 丸山明宏デラックス (1969年、SKD-10)
  3. 別れのブルース おんなと愛を唄う(SKD-20)
  4. 日本心中歌謡史(1973年)
  5. 白呪(1975年、2000年、2006年、2011年)
  6. BRAVA DIVA MIWA(2013年12月)

ベスト・アルバム 編集

  1. 華麗な世界(1973年、SKA-60)
  2. 美輪明宏の世界 (1987年4月21日、1994年1月21日、2006年11月8日、2018年8月22日)
  3. 愛の贈り物(1991年8月21日、2006年11月8日、2018年8月22日)
  4. 全曲集(1996年9月21日)
  5. 全曲集(1999年9月3日、KICX-2523)
  6. 全曲集(2000年9月6日、KICX-2616)
  7. 全曲集(2001年9月5日、KICX-2711)
  8. 全曲集(2002年9月2日、KICX-2812)
  9. 全曲集(2003年9月3日、KICX-2912)
  10. 全曲集(2004年9月1日、KICX-3212)
  11. ベストセレクション シャンソン・アルバム(2004年12月1日)
  12. 全曲集 (2005年9月7日、KICX-3312)
  13. テイチク・ワークス 1970-1971(2006年4月26日)
  14. 全曲集(2006年9月6日、KICX-3412)
  15. 全曲集(2007年9月5日、KICX-3512)
  16. 全曲集 2009(2008年09月10日)
  17. ベストセレクション(2008年11月26日)
  18. 全曲集 2010(2009年9月9日)
  19. ベストセレクション2010(2010年4月7日)
  20. 全曲集 2011(2010年10月6日)
  21. 全曲集 2012(2011年9月7日)
  22. 全曲集 2013(2012年10月10日) - オリコンアルバムチャート251位(2013年3月4日付)
  23. 全曲集 2014(2013年9月4日)
  24. 全曲集 2015(2014年9月10日)
  25. 全曲集 2016(2015年9月16日)
  26. ベストセレクション2016(2016年4月6日)
  27. 全曲集 2017(2016年9月7日)
  28. 全曲集 2018(2017年9月6日)
  29. 全曲集 2019(2018年9月5日)
  30. 全曲集 2020(2019年9月4日)
  31. 全曲集 2021(2020年9月9日)
  32. 全曲集 2022(2021年9月8日)
  33. 全曲集 (2022年9月7日)

企画アルバム 編集

  1. 丸山明宏”魅惑の古賀メロ”を唄う(1971年1月5日)
  2. 懐かしの欧州ヒット曲集 シャンソンとタンゴ(1973年、日本ビクター
  3. ヨーロッパ・ヒットをうたう(CHANTE LES TUBE POPULAIRE EUROPIA)(1992年10月21日、2006年11月8日、2018年8月22日)
  4. 昭和の名歌を唄う(1995年9月6日、2006年11月8日、2018年8月22日)
  5. 日本の心を歌う(1999年8月27日、2018年8月22日)
  6. 《愛》を歌う(2001年2月21日、2018年8月22日)
  7. 古賀メロディーを唄う(2002年10月22日、2018年8月22日)
  8. 日本の詩を唄う(2006年11月8日、2018年8月22日)
  9. メケ・メケ (2014年2月、日本コロムビア
  10. 愛の讃歌 エディット・ピアフに寄せて(2014年7月)

ライブ・アルバム 編集

  1. 魅惑のコンサート(1977年、ポリドール
  2. 老女優は去り行く 美輪明宏のすべて(1978年、CBS・ソニー
  3. 喝采~銀巴里ライヴ(1981年12月、ビクター、1994年12月1日、2017年2月22日)
  4. ジァン・ジァンライブ'94(1995年2月20日)

ボックス・セット 編集

  1. 美輪明宏全集オリジナルを唄う(2002年3月6日)
  2. 美輪明宏大全集(2015年12月)

オムニバス 編集

  1. シャンソン・ド・銀巴里(1970年4月5日)(2012年6月)
  2. 魅惑のシャンソン(1997年12月)
  3. 魅惑のムード・ヴォーカル 癒しの歌声コレクション(2010年2月)

映像作品 編集

  1. 人生愛と美の法則1(2006年3月24日)
  2. 人生愛と美の法則2(2006年3月24日)
  3. リサイタル”愛” 1 日本の心を唄う~'91秋パルコ劇場~(2006年12月6日)
  4. リサイタル”愛” 2 サンジャンの恋人~'91秋パルコ劇場~(2006年12月6日)
  5. リサイタル”愛” 3 愛しの銀巴里~'93秋パルコ劇場~(2006年12月6日)
  6. リサイタル”愛” 4 愛の賛歌~'93秋パルコ劇場~(2006年12月6日)
  7. 毛皮のマリー 2001年版 (2011年5月)
  8. 雪之丞変化 DVD-BOX (2013年6月)
  9. 美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~(2013年12月)

その他 編集

出演 編集

舞台 編集

  • 青森県のせむし男(1967年、1983年)
  • 毛皮のマリー(1967年、1983年、1994年、1996年、2001年、2009年)
  • 黒蜥蜴 (1968年、1969年、1993年、1994年、1997年、2003年、2005年、2008年、2013年、2015年)
  • 双頭の鷲 (1968年、1984年、1997年、1999年、2007年、2008年)
  • 椿姫 (1968年、1969年、1998年、2004年、2012年)
  • マタ・ハリ(1969年)
  • 枯葉の寝床(1978年)
  • 愛の讃歌 エディット・ピアフ物語(1979年、1981年、1996年、2000年、2006年、2011年、2014年)
  • 花粉熱(1979年)
  • リチャード三世(1980年)
  • アラバールの大典礼(1985年)
  • 近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町(1996年、1998年、2002年、2010年)

映画 編集

  • 永すぎた春(1957年) - シャンソン歌手 役
  • 暖流(1957年) - KRテレビ(現在のTBS)に出演中の歌手 役
  • 女であること(1958年) - 歌手 役(オープニングで同名主題歌を歌う)
  • 東京野郎と女ども(1958年) - 舶来のシスターボーイ 役
  • 蟻の街のマリア(1958年) - ジャン 役
  • 愛情の都(1958年) - 歌手 役(銀座のクラブの出演歌手として歌う)
  • 体当りすれすれ娘(1959年) - 佐伯登 役
  • 新婚列車(1959年) - 君島登 役
  • 未婚(1959年) - 四人組仙吉 役
  • 激闘(1959年) - 香港ジョー 役
  • 夜の配役(1959年) - 吉岡 役
  • 愛の濃淡(1959年) - ロロ 役
  • 続べらんめえ芸者(1960年) - 小柳明 役
  • 銀座退屈娘(1960年) - 大沢ジロー 役
  • 風流滑稽譚 仙人部落(1961年) - 洗濯屋の小僧 役
  • 猟人日記(1964年) - 本人 役
  • 黒蜥蜴(1968年松竹 深作欣二監督) - 黒蜥蜴(緑川夫人) 役
  • 黒薔薇の館(1969年、松竹、深作欣二監督) - 藤尾竜子 役
  • 女賭博師壷くらべ(1970年、大映井上芳夫監督) - 竜神のお松 役
  • 書を捨てよ町へ出よう(1971年、日本ATG寺山修司監督) - 地獄のマヤ 役
  • バカ政ホラ政トッパ政(1976年、東映中島貞夫監督) - シャンソン歌手 役
  • 日本人のへそ(1977年、日本ATG、須川栄三監督) - 会社員、偽学生=ヤクザ、助教授 役(3役)
  • TAKESHIS'(2005年、松竹/オフィス北野、北野武監督) - 大物歌手(本人) 役
  • ドキュメンタリー映画『追憶』(2016年) - ナレーション [20]

テレビドラマ 編集

バラエティ他 編集

NHK紅白歌合戦出場歴 編集

年度 放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
2012年 第63回[23] ヨイトマケの唄 21/25 和田アキ子
2013年 第64回 2 ふるさとの空の下に 19/23 石川さゆり
2014年 第65回[24] 3 愛の讃歌 22/23 中島みゆき トリ前
2015年 第66回 4 ヨイトマケの唄(2回目) 23/26 レベッカ
  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

劇場アニメ 編集

テレビアニメ 編集

ラジオ 編集

CM 編集

携帯公式サイト 編集

音声ガイド 編集

  • 東京国立博物館「伊勢神宮と神々の美術展」(2009年)

著書 編集

単著 編集

  • 丸山明宏『紫の履歴書』大光社、1968年9月20日。NDLJP:2518599 のち角川文庫、水書坊
  • 『新・紫の履歴書』面白半分 1976
  • 『獅子の座蒲団 霊感・人生相談』角川書店 1983年 のち「獅子の座ぶとん」文庫
  • 『霊の実在』明日香出版社 1984 現代辻説法
  • 『生きるって簡単』佼成出版社 1987年
  • 『悩まなくてよい本 霊能的雑業家の開運アドバイス』佼成出版社 ダルマブックス 1987
  • 『ほほえみの首飾り 南無の会辻説法』水書坊 1989
  • 『光をあなたに:美輪明宏の心麗相談』メディアファクトリー 1995年
  • 『人生ノート』パルコ出版 1998年
  • 『天声美語』講談社 2000年
  • 『強く生きるために』主婦と生活社 2000年
  • 『ああ正負の法則』パルコ出版 2002年
  • 『愛の話 幸福の話』集英社 2002年
  • 『地獄を極楽にする方法』主婦と生活社 2003年
  • 『霊ナァンテコワクナイヨー』パルコ出版 2004年
  • 『人生学校虎の巻』家の光協会 2005年 ISBN 978-4-259-54671-7
  • 『戦争と平和 愛のメッセージ』岩波書店 2005年 ISBN 978-4-00-023648-5
  • 『美輪明宏のおしゃれ大図鑑』集英社 2005年 ISBN 978-4-08-780413-3
  • 『世なおしトークあれこれ』パルコ出版 2007年 ISBN 978-4-89194-751-4
  • 『続・人生学校虎の巻』家の光協会 2008年
  • 『乙女の教室』集英社 2008年
  • 『愛と美の法則』パルコ出版 2009年
  • 『花言葉』パルコ出版 2010年 ISBN 978-4-89194-835-1
  • 『悩みも苦しみもメッタ斬り!』家の光協会 2011年 ISBN 978-4-259-54735-6
  • 『明るい明日を』パルコ出版 2012年 ※第18回スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞
  • 『人生はドンマイドンマイ』家の光協会 2013年
  • 『楽に生きるための人生相談』朝日新聞出版(2015年12月7日)
  • 『心の嵐を青空に』家の光協会(2016年12月12日)
  • 『愛の大売り出し』パルコ(2018年2月28日)
  • 『おだやかに生きるための人生相談』朝日新聞出版(2019年9月6日)
  • 『ほほえみを忘れずに。ルンルンでいきましょう』家の光協会(2020年12月16日)

共著 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2005年のNHKの番組『あの日 昭和20年の記憶』に被爆者の一人として、インタビューイとして出演した。1945年8月9日の被爆から6日後の同年8月15日に、カフェを営んでいる実家に戻ると店先に水を求めてきた瀕死の被爆者らが押し寄せて、一家総出で水を与えたと証言している。とりわけ女性の被爆者に水を与えたところ、幼い自分を拝んでその死んだ女性の姿に言及すると、涙ぐみ、「まさに地獄ですよ」と、語った。
  2. ^ 朝日新聞の『祈り ナガサキノート2』では「あの地獄のような光景が私の歌づくりの原点になっています」と語り(これは同書の帯に使用された)、赤子を抱えた母親の死体を見て、美輪の作品のテーマのひとつである「無償の愛」を知ったという。
  3. ^ 「衣装革命」と称し、着飾ったが、この前衛的な美輪の活動も、保守的であった世間からは冷遇され、「丸山明宏を芸能界から追放せよ」と言った内容の批判記事が、全国紙に掲載されたり、見知らぬ人から、石やビール瓶の蓋を投げ付けられた事もあった。
  4. ^ 『黒蜥蜴』の再演は93年以来1994年1997年2003年2005年と続けられている。
  5. ^ 2002年11月に発売された桑田のベストアルバム『TOP OF THE POPS』には2000年11月30日 - 12月2日にパシフィコ横浜国立大ホールで行われたライブ「桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング」からのライブテイクによる「ヨイトマケの唄」が収録されている。これ以降も槇原敬之米良美一を始めとして、多くのアーティストによる優れたカバーが発表されている。長く放送自粛となっていた民放各局(NHKでは自粛対象ではなかった)で放送される機会も増え、美輪自身も2006年4月14日放送のテレビ東京たけしの誰でもピカソ・祝400回スペシャル』内でこの曲の誕生秘話を語り、フルコーラスを歌っている。
  6. ^ ただし、1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』に出場した聖飢魔IIのメンバーであるエース清水長官のプロフィール上の年齢は100027歳(当時)であり、プロフィール上の年齢も考慮した場合はそちらが史上最年長になる。

出典 編集

  1. ^ a b 別紙 平成30年度名誉都民候補者”. 東京都 (2018年8月31日). 2021年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月19日閲覧。
  2. ^ 美輪明宏、初体験の相手は「先輩の男子」”. asagei. 2020年11月25日閲覧。
  3. ^ 讀賣新聞2015年8月9日「戦後70年あの夏9」美輪明宏
  4. ^ 「第二章 天上界の麗人 美輪明宏」(岡山 2016, pp. 55–94)
  5. ^ 美輪の著書『霊ナァンテコワクナイヨー』(2004年)にて、記述
  6. ^ 紅白:77歳・美輪明宏、歴代最高齢初出場「桃色組で出ます」2012年11月27日
  7. ^ 美輪明宏に養子がいた「事実です」”. nikkansports.com (2013年1月24日). 2013年3月12日閲覧。
  8. ^ a b “美輪明宏、初期の脳梗塞で2週間ほど入院 舞台公演も中止に”. ORICON NEWS (oricon ME). (2019年9月11日). https://www.oricon.co.jp/news/2144265/full/ 2019年9月12日閲覧。 
  9. ^ 第73回日本放送協会放送文化賞・受賞者資料” (PDF). 日本放送協会 (2022年3月3日). 2022年4月5日閲覧。
  10. ^ DVD「ウルトラQ」第4巻ブックレットより
  11. ^ 福岡放送制作 日本テレビ系「新型テレビ」。
  12. ^ 西岡議長死去:評伝 「ミスター一徹」を悼む=岩見隆夫[リンク切れ] 毎日新聞 2011年11月6日閲覧
  13. ^ 月刊『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室より。
  14. ^ 伊藤文學のひとりごと。
  15. ^ 中居正広のキンスマ!波瀾万丈スペシャル! 2007年12月28日
  16. ^ 福島瑞穂ほか『出すぎた杭は打たれない 福島瑞穂対談集(シリーズ女の決断)』NTT出版, 1994年
  17. ^ 福島みずほツイッター、2013年11月16日23:54投稿 https://twitter.com/mizuhofukushima/status/401725063411412992
  18. ^ 2007年12月28日放送「中居正広の金スマ!波瀾万丈スペシャル」にて
  19. ^ 三輪明宏が「安倍首相も自民党に投票した人もまず自分が戦地に行きなさい」と一喝! LITERA,2015年7月14日、2020年9月12日閲覧
  20. ^ “ペリリュー島の戦いをつづるドキュメンタリー公開、ナレーションは美輪明宏”. 映画ナタリー. (2016年9月20日). https://natalie.mu/eiga/news/202403 2016年9月20日閲覧。 
  21. ^ 美輪明宏、子ども番組初登場 Eテレ『にほんごであそぼ』新キャラクターに”. ORICON STYLE (2016年1月27日). 2016年1月27日閲覧。
  22. ^ 没後50年 今夜はトコトン“三島由紀夫””. NHK (2021年1月10日). 2021年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月7日閲覧。
  23. ^ 最年長初出場歌手(当時77歳)
  24. ^ 最年長出場歌手記録更新(当時79歳、昨年までは藤山一郎が一位)
  25. ^ もののけ姫”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月18日閲覧。
  26. ^ ハウルの動く城”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月6日閲覧。
  27. ^ メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行”. メディア芸術データベース. 2023年1月9日閲覧。
  28. ^ 16年半の歴史に幕〜「愛と別れ」のお話”. TBSラジオ (2020年3月29日). 2020年3月29日閲覧。
  29. ^ お正月は美輪明宏と「金色の時間」をご一緒に”. NHK. 2021年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月19日閲覧。

参考文献 編集

  • 岡山典弘三島由紀夫が愛した美女たち』啓文社書房、2016年10月。ISBN 978-4899920205 
  • 美輪明宏『紫の履歴書』水書房、1992年11月。ISBN 978-4943843641  - 原版(大光社)は1968年9月 NCID BN15222464
  • 美輪明宏『愛の話 幸福の話』集英社、2002年6月。ISBN 978-4087803570 

外部リンク 編集