羽衣 歌子(はごろも うたこ、1902年(明治35年)4月5日 - 1979年(昭和54年)9月7日)は、青森県出身の歌手。本名:加藤絢子。民謡歌手三島一声は元夫。

経歴 編集

東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、1930年(昭和5年)にデビュー。1931年(昭和6年)に、広津和郎の小説を原作とした映画「女給」の主題歌「女給の唄」がヒット。日本ビクター蓄音機社の社歌や、「満州行進曲」などを吹き込む。その後「東京音頭」で知られる、民謡歌手の三島一声と結婚するが、離婚。

戦後は引退していたが、音楽塾を経営し、歌の指導を行っていた。

昭和40年代の懐メロブームで復帰。1966年(昭和41年)に、田谷力三榎本健一と共に出演した、第202回三越名人会「浅草オペラ」の歌唱が認められ、文部省芸術祭大衆芸能部門奨励賞を受賞し、再び表舞台へと返り咲いた。

その後も東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「なつかしの歌声」や、NHK思い出のメロディー」などに出演し、衰えを知らぬ歌声を披露した。

1975年(昭和50年)のNHK「第7回思い出のメロディー」に出演し、「女給の唄」を歌ったのを最後に、再び表舞台から姿を消した。晩年は認知症を発症していたと言われている。1979年(昭和54年)9月7日死去[1]。享年77。

代表曲 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 羽衣歌子 - コトバンク