翁 同書(おう どうしょ、Wēng Tóngshū1810年 - 1865年)は、末の官僚。字は薬房翁心存の長男で翁同爵翁同龢の兄。江蘇省蘇州府常熟県の出身。

1840年進士となり、庶吉士に選ばれる。1853年太平天国の乱に対する欽差大臣キシャン(琦善)の補佐として江南に赴き、侍講学士、ついで侍読学士に抜擢された。キシャンの死後もトミンガ(托明阿)・デヒンガ(徳興阿)の補佐にあたり、揚州の奪回などに功績があった。

1858年、安徽巡撫に任命され、欽差大臣勝保(シェンバオ)の補佐にあたった。定遠に軍を置いていたが、1859年捻軍が定遠に押し寄せ、一度は撃退したものの、捻軍と太平天国軍と合流したため定遠は陥落し、寿州に軍を移した。1860年団練苗沛霖と不和が生じ、苗沛霖は離反して敵側につき、寿州が陥落した。翁同書は北京に呼び戻されたが、曽国藩の弾劾を受け、死罪が申し渡された。しかし1863年新疆への流罪に減刑となった。

1864年陝西省甘粛省回民蜂起の鎮圧に向かったドゥヒンガ[1](都興阿)軍に従軍し、功績をあげた。翌1865年に死去。死後に官職は元に戻され、文勤の諡号が贈られた。

脚注 編集

参考文献 編集

先代
福済(フジ)
安徽巡撫
1858年 - 1861年
次代
李続宜