肥後 宗典(ひご むねのり、1942年4月30日 - 2002年7月23日[要出典])は日本プロレスラー。本名及び旧リングネームは本郷篤(ほんごう あつし)。

肥後宗典
プロフィール
リングネーム 肥後宗典
本郷篤
本郷清吉
本名 本郷篤
身長 184cm
体重 102kg
誕生日 (1945-05-15) 1945年5月15日[要出典]
死亡日 (2002-07-23) 2002年7月23日(57歳没)[要出典]
出身地 熊本県熊本市
所属 国際プロレス
全日本プロレス
スポーツ歴 野球
トレーナー グレート草津
デビュー 1969年4月27日(6月16日の説もあり)
引退 1980年4月
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来歴 編集

1969年2月、鎮西高等学校から国際プロレスへ入団。

同年4月27日佐野東八を相手にデビュー(デビュー戦は6月16日大剛鉄之助戦とする説もある)。国際時代は同郷のグレート草津の付き人も務めた。

1972年全日本プロレスの旗揚げシリーズに参戦したのをきっかけに、ジャイアント馬場に請われる形で全日本へ移籍。この時、リングネームも本名由来のものから肥後宗典へと改名している。

1974年、オーストラリアへ3ヶ月間遠征。

帰国後は主に前座戦線で活躍したが、1980年4月、自らが起こした婦女暴行事件の影響で引退。その後は郷里の熊本で全日本プロレスのプロモーターとなった。

なお、引退のきっかけにもなった肥後の婦女暴行事件は冤罪であったことがマイティ井上の証言により判明している。

2002年7月23日に死去[要出典]

エピソード 編集

ジャイアント馬場には公私共に気に入られており、結婚の際には、馬場が媒酌人を勤め上げたという。

脚注 編集

関連項目 編集