脇坂 安村(わきざか やすむら)は、江戸時代前期から中期にかけての播磨国龍野藩の世嗣。官位従五位下市正

 
脇坂安村
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 明暦2年(1656年
死没 宝永3年9月25日1706年10月31日
官位 従五位下市正
播磨龍野藩世嗣
氏族 脇坂氏
父母 脇坂安政松平康映娘・松仙院
兄弟 安村安照、世伊、左牟ら
板倉重矩養女
脇坂安照養女、戸田重澄正室
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略歴 編集

明暦2年(1656年)、信濃飯田藩2代藩主・脇坂安政の嫡男として誕生。

寛文6年(1666年)に4代将軍・徳川家綱御目見する。寛文10年(1670年)叙任されたが、延宝6年(1678年)9月13日に病弱を理由に廃嫡された。代わって、弟・安照が嫡子となった。天和2年(1682年)9月19日、父・安政に対して不敬があったとして若狭国小浜藩3代藩主・酒井忠隆に預けられる。

元禄14年(1701年)12月12日に赦免され、宝永3年(1706年)に死去。享年51。

系譜 編集