范柏年(はん はくねん、? - 479年)は、南朝宋からにかけての人物。本貫梓潼郡

経歴 編集

華陽郡で代々土豪をつとめる家に生まれ、梁州で名を知られた。宋の泰始年間、晋寿郡を攻撃して交通を遮断すると、柏年は倉部郎として仮節を受け、数百人を率いて交通を確保し、益州道から建康の朝廷に報告した。晋寿郡太守に任じられた。柏年は晋寿郡の李烏奴を降伏させ、氐の楊城・蘇道熾らを討ち平らげた。元徽4年(476年)、梁南秦二州刺史に任じられた。昇明元年(477年)、沈攸之の乱が起こると、柏年は朝廷の援軍を名目に陰広宗を魏興郡に進出させ、戦況を様子見させた。昇明3年(479年)、朝廷は王玄邈を新たな梁南秦二州刺史として派遣したが、柏年は李烏奴の勧めを容れて漢中に拠ったまま命を受けなかった。王玄邈がやってくると、柏年は遅ればせながら魏興郡に移ったが、召還に応じようとはしなかった。同年(建元元年)、斉の南郡王蕭長懋は柏年が兵乱が起こすことを憂慮して、使者を派遣して柏年を説得した。柏年は府長史に任じられ、襄陽に出頭したところを捕らえられて処刑された。

伝記資料 編集