荻野 晃一(おぎの こういち、1966年8月11日 - )は、日本車いすラグビー指導者、元車いすラグビー選手。千葉県鎌ケ谷市出身[2]ミスター車いすラグビーと呼ばれている[3]

荻野 晃一
個人情報
国籍日本の旗 日本
生誕 (1966-08-11) 1966年8月11日(57歳)
千葉県鎌ケ谷市
スポーツ
競技車いすラグビー
障害クラス1.0(B)[1]

略歴 編集

24歳の時、海水浴で岩に衝突して頚椎を損傷[4]。リハビリをきっかけで車いすラグビーを始めた。パラリンピックではアテネ大会・北京大会・ロンドン大会で日本代表に選ばれた。また日本代表の主将を務めたことがある[5]

現役引退後、2013年、車いすラグビー日本代表のアシスタントコーチに就任。翌2014年、指導者の突然の辞任に伴い監督になる。

2016年、リオデジャネイロ大会では監督として初のメダル獲得に貢献[6]

出典 編集

  1. ^ 日本代表選手団 選手名鑑. ロンドン2012パラリンピック競技大会.(2012年9月3日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  2. ^ 重圧に耐え、歴史変える 夢にまで車いすラグビー 鎌ケ谷出身の荻野監督 . 千葉日報(2016年9月20日). 2021年8月31日閲覧。
  3. ^ 「ミスター車いすラグビー」荻野晃一さん聖火つなぐ、監督でリオ銅メダル . 日刊スポーツ(2021年8月18日). 2021年8月31日閲覧。
  4. ^ アテネパラリンピックへ . 特定非営利活動法人かまがや地域情報の窓. 2021年8月31日閲覧。
  5. ^ ウィルチェアーラグビー日本代表がラグビー協会を訪問 . 日本ラグビーフットボール協会(2008年6月2日). 2021年8月31日閲覧。
  6. ^ 車いすラグビー銅 日本代表監督・荻野さん、初の鎌ケ谷市民栄誉賞 /千葉 . 毎日新聞(2016年11月5日). 2021年8月31日閲覧。

関連項目 編集