菅原 師竹(すがわら しちく、1863年文久3年)8月[1][2] - 1919年大正8年)3月24日[1][2])は日本俳人。本名は賢五郎[1][2]。旧姓:伊藤[1][2]

経歴 編集

陸奥国登米郡登米(現・宮城県登米市)に生まれる[1]。幼少期に元藩儒の中沢敬哉に経史を学ぶ[1]。菅原家に養子になり、農業をする[1]。旧派俳諧に属したが[2]1904年安斎桜磈子と知り、共に日本派の俳句入る[1]1905年から河東碧梧桐俳句の指導を受ける[2]。新傾向時代初期に活躍し「師竹・桜磈子時代」を画す[1]。「続春夏秋冬」「日本俳句鈔」などに多く句を収め、安斎桜磈子編「師竹句集」がある[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。 
  2. ^ a b c d e f 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社。