菅直人

日本の旗 日本の政治家
菅 直人
かん なおと
菅直人
生年月日 1946年10月10日(65歳)
出生地 日本の旗 山口県宇部市
出身校 東京工業大学理学部応用物理学科
前職 菅・高橋特許法律事務所所長
所属政党 社会市民連合→)
社会民主連合→)
新党さきがけ→)
旧民主党→)
民主党
称号 理学士(東京工業大学・1970年
弁理士
親族 菅實祖父
姫井千恵子おば
配偶者 菅伸子
公式サイト 菅直人公式サイト

内閣 菅内閣
菅第1次改造内閣
菅第2次改造内閣
任期 2010年6月8日 - 2011年9月2日
天皇 今上天皇(明仁)

日本の旗 第13代 財務大臣
内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2010年1月7日 - 2010年6月8日

内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2009年9月16日 - 2010年6月8日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
科学技術政策担当
内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2009年9月16日 - 2010年1月7日

日本の旗 第85代 厚生大臣
内閣 第1次橋本内閣
任期 1996年1月11日 - 1996年11月7日

その他の職歴
日本の旗 衆議院議員
1980年 - 現職)

菅 直人[注 1](かん なおと、1946年昭和21年)10月10日 - )は、日本政治家弁理士衆議院議員(10期)、民主党最高顧問。

閣僚としては厚生大臣第85代)、財務大臣第13代)、内閣府特命担当大臣科学技術政策担当経済財政政策担当)、内閣総理大臣第94代)、党職としては社会民主連合副代表、新党さきがけ副代表、民主党代表(初代・第3代、第8代)などを歴任した。

経歴

生い立ち

1946年10月10日、岡山県出身の父・菅寿雄の勤務先、山口県宇部市に長男として生まれた。本籍地岡山県久米郡福渡町(現在の岡山市北区建部町)。父・寿雄は宇部曹達(現セントラル硝子)に勤める技術者(のち常務[1])だった[2]。姉が一人いる。

少年時代は、幕末志士高杉晋作に憧れていた[2]

学生時代

小学校から高校の頃まで

宇部市立神原小学校、琴芝小学校、神原中学校を経て、山口県立宇部高等学校へ進学。高校2年生の夏、父の転勤に伴い菅一家は東京都三鷹市に引っ越した。東京都立小山台高等学校2年に編入し、1965年卒業。

学生運動

同年、東京工業大学理学部応用物理学科(現・物理学科)に入学。在学中は学生運動にのめり込んだ。東工大の同級生によれば「大学の自治会に、中核派が入り込んでいたんですが彼は“イデオロギーでは何もかわらない。現実的な対応をしなければ”と、よく中核派に食って掛かっていた。「全学改革推進会議」なるものを立ち上げて、15人くらいを率いて極左系とは違う学生運動を行っていました」という[3]

初代内閣安全保障室長の佐々淳行によれば、「菅さんは東工大の学生時代、ノンセクト・ラジカルのグループに所属し、学園紛争を煽っていた。私は当時、警視庁警備課長として機動隊を連れ、3回ほど東工大に行ったので、菅さんを知っていました。彼は我々の間で“4列目の男”と呼ばれていた。アジ演説が巧く、聴衆を集めるが、検挙を覚悟の上でゲバ棒で逆らってくるようなデモ隊の3列目には決して加わらなかった。巧妙なリーダーでしたよ」と述べている[4]

全共闘民青からは一線を画した「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活動した[5]。先鋭化していく全共闘や、共産党の支配下にある民青にも加わらず、さらに大学寄りの体制側グループでもない第4のグループ「全学改革推進会議」を結成して200人ほどを組織し、そのリーダーとして、独自の行動をとった[6]

大学紛争の影響で卒業研究が出来なかったため、紛争が収まった後できちんとやりたいとの自身の意向により一年留年[7]1970年東京工業大学理学部応用物理学科卒業。

結婚

弁理士時代

技術者であった父から、会社内での技術者に対する不遇を聞かされており、本屋で見つけた弁理士の本で関心を持ち、有名企業に就職しても「自分の将来・先が見える等」の理由から弁理士を志す[8]。弁理士という職種を選んだのは、「社会運動に関わりたい、そのためにはあまり拘束されない自営できる道を確保したい」というのが最大の理由だった[9]

卒業後は小田島特許事務所に就職。在職中に弁理士資格を取得して独立し、「菅特許事務所」を開設する[9]

政界入り

1974年の参院選市川房枝の選挙事務所代表を務め、選挙参謀として尽力したことが政界入りのきっかけとなった。作家の有吉佐和子は自身が市川を応援していた時の模様を小説『複合汚染』に記す中で、菅が立候補を渋る市川の代わりに有吉を候補者にしようと話していたと聞き、菅らに好かれたら作家生命が危うくなると考えて必要以上に怖い顔をし続けたとしている。菅は参院選で市川を支援した「あきらめないで参加民主主義をめざす市民の会」の支持を得て、1976年第34回衆院選東京都第7区(当時)から無所属で立候補するが次点で落選[10][11]。この選挙で市川は「菅に自力で闘いなさいと言っていたが、菅は選挙で私の名前をいたる所で使い、私の選挙名簿を利用してカンパや選挙運動への協力を要請強要していたらしく、私が主張し実践してきた理想選挙と大分異なっていた」と著書に記している[12]。1977年、江田三郎の要請を受けて社会市民連合に参加した[13]。この件に関し、市川房枝から反対され、「参加民主主義をめざす市民の会」からも退会している[12]

1977年第11回参院選では社会市民連合から東京都選挙区で出馬したがまたも落選し、1979年第35回衆院選では社会市民連合から名称を変更した社会民主連合から出馬し、またも落選したが、1980年第36回衆院選で初当選(衆参同日選挙第12回参議院議員通常選挙では全国区で後に離党して民社党移籍する社民連現職秦豊支援、無所属現職として再選した市川と敵対関係になっていた)。土地問題や税制などを中心に、政府を鋭く追及する市民派の論客として知られるようになっていった。 1981年には丸山ワクチンの不可思議な不認可問題を追及し、後の薬害エイズ事件につながる官僚との対立姿勢を見せた。

社会民主連合では主な役職として1978年副代表、1985年に副書記長兼政策委員長を務めた。1986年の総選挙で社会民主連合は4議席を獲得したが、選挙直後に2人ずつ日本社会党会派と民社党会派に分かれて所属することになり(その結果民社党会派が日本共産党会派を数で上回り、議会内ポストを共産党会派に渡すことを阻止した)、菅は社会党会派に属した。この形式は、1990年の総選挙まで続いた。

1992年6月13日PKO国会において、衆議院本会議で中西啓介衆院議院運営委員長の解任決議案に賛成の討論を行ったが、制限時間を過ぎても演説を続け、衛視に壇上から押し出され降壇させられるなどPKO協力法の成立に激しく抵抗した。

非自民連立政権から自社さ政権へ

1993年に成立した細川非自民連立政権では、衆議院外務委員長に就任した。1994年の社会民主連合解散後は新党さきがけに入党。村山自社さ連立政権では、新党さきがけ政策調査会長として、政策調整に当たった。当時の自民党政調会長加藤紘一とは「KKライン」と呼ばれ、この時代に「住専処理スキーム」が決定された。また、さきがけ東京代表として1995年統一地方選挙第17回参議院議員通常選挙で党勢拡大に尽力。(参院選で東京都選挙区中村敦夫を擁立、社民連時代から共闘していた生活者ネット結成以来初の国政選・推薦候補となったが田英夫平和・市民代表に数万票及ばず次点)

厚生大臣として

1996年1月、村山内閣総辞職後成立した第1次橋本内閣厚生大臣(第74代)として入閣した。薬害エイズ事件O157の集団感染の問題に所管の大臣として対応した。

またこの年に出版した著書『大臣』(岩波新書)は、前書きで自身が「現役の政治家が岩波新書から本を出すとは異例だが」と書く通り、前代未聞の出来事でベストセラーとなった[要出典]

薬害エイズ事件
薬害エイズ事件の処理に当たり、当時官僚が無いと主張していた行政の明白な過ちを証明する“郡司ファイル”(当時の厚生省生物製剤課長・郡司篤晃がまとめていたのでこの別名がある)を菅直人指揮の下にプロジェクトを組んで発見した。(ただし、厚生省における内部資料の捜索は前任の厚生大臣である日本社会党森井忠良が始めたものであり、前任大臣と官僚たちの功績を「横取り」したものであると飯島勲は指摘している[14])。血液製剤によるエイズに感染した多くの被害者たちに対して、初めて行政の責任を認めた。さらにこの事件の菅の処理は、彼が対談を行っていたカレル・ヴァン・ウォルフレンらから、日本に初めて官僚の説明責任という概念を持ち込み、「アカウンタビリティ」という言葉を定着させたと評価された[15]
O157とカイワレ問題
1996年8月のO157騒動の時には、「大阪府内の業者が出荷したカイワレ大根が原因となった可能性は否定できない」と発表。その直後からカイワレ大根への風評被害が発生し、結果倒産破産するカイワレ農家や業者(その大半が自営業者零細企業であった)が続出、自殺者まで出る事態となった。しかし、立入検査においては施設、従業員および周辺環境からはO157は検出されなかった[16][17][18][19]
これらの経緯を受け、菅は記者会見の場でカイワレのサラダを食べることで、安全性のアピールを図った。一方で「O157以外の通常自然界に存在するはずの細菌も一切検出されなかったのだから、事件後消毒されたことは明白で証拠隠滅が図られた」などと主張した。この問題については、東京と大阪で風評被害を受けたカイワレ大根生産業者らが起こした国家賠償を求める民事裁判では、最高裁で平成15年5月21日に国側敗訴が確定している[20][注 2]。大阪地裁での判決について、菅は、ホームページ上で「十分な科学的根拠がない」と判決が認定した疫学調査は、集団食中毒などでは極めて有効な調査方法であるとして「裁判官の判断は疑問」と反論した[21]
その他
  • 菅の厚生大臣在任中に、基礎年金番号制度の導入が閣議決定された(導入は小泉純一郎が厚相だった1997年1月)。そのため、2007年に自民党から年金記録問題(「消えた年金記録」問題)についての責任を問う主張があった[22]。これに対して、菅は問題の原因は基礎年金番号の導入ではなく年金記録の名寄せ作業がしっかりできていなかったためであるとして「言いがかり以外の何ものでもない」と反論した[23]

民主党結党から政権交代へ

結党・初代党代表

1996年9月28日、新党さきがけ鳩山由紀夫旧民主党を旗揚げすると、これに菅も参加した。菅は鳩山と共に代表となり旧民主党がスタートした。結党当初は衆議院議員50人、参議院議員5人の計55人が参加した。1998年4月27日新進党分党後に誕生した統一会派「民主友愛太陽国民連合(民友連)」と合流して、新民主党を結成し、代表となる。合流当初は衆議院議員98人、参議院議員38人の136人が参加した。

1998年7月12日の第18回参院選で27議席を獲得する。

橋本龍太郎首相は敗北の責任から内閣総辞職に追込まれた。総理大臣指名選挙では、自由党日本共産党は第一回投票から菅に投票し決選投票では公明改革クラブ社民党・さきがけの支持もあり参議院では首相に指名されたが、衆議院の優越により衆議院の議決で指名された小渕恵三が首相となった。

1998年の金融国会では、「われわれの要求が受け入れられれば政府の退陣は求めない」と発言し、所謂政策新人類と呼ばれた自民党若手議員らとともに、金融関連再生法案の策定に励み、実際に丸呑みと揶揄されるほど、菅らの主張が受け入れられたが(ただし、菅は雑誌で不良債権発生当時の都市銀行役員等の刑事責任を問えと雑誌で発言した事があるが、これは受け入れられなかった)、小沢一郎らは「参院選で大勝した直後に政局にしないとは弱腰極まりない」と批判するなど、この言動に対する評価は二分された。菅の金融問題への対応は素早く、経済学者金子勝朝まで生テレビにて菅を、政治家としては最も早く金融に着目・解決のためのスキームをまとめさせたとして、菅の功績を評価する発言をしている。

1999年(平成11年)に2回行われた民主党代表選挙では、1月には再選するも松沢成文に善戦を許し、9月には鳩山由紀夫に敗北したが、党政策調査会長に就任した。

二度目の党代表就任

2000年(平成12年)に党幹事長に就任。2002年(平成14年)に鳩山由紀夫代表が辞任すると、岡田克也幹事長代理と代表選を争い、党代表に再び就任。次の内閣総理大臣にもあわせて就任した(社民連時代は社会党シャドーキャビネットに入閣しなかった)。政治家の年金未納問題により辞任に追い込まれる2004年5月10日まで務めた。

民由合併・マニフェストの導入
2003年9月26日に小沢一郎が党首を務める自由党との合同を実現した(民由合併)。
同年11月9日の第43回衆院選では「高速道路の原則無料化」、「小学校低学年の30人以下の学級実現」などをマニフェスト(政策綱領)に掲げ、公示前勢力を大幅に上回る177議席を獲得し、比例代表では自民党を上回った。菅は党代表として、やがて衆院選を迎えるに当たり、時の小泉首相に対し、自民党はマニフェストを国民の前に提示するのかどうかを迫り、期限や事後チェック付きの政権公約としてのマニフェストと従来の公約との違いを自民党にも明確化するよう迫った経緯がある(2003年7月18日予算委員会)。小泉首相は、政党統一の政権公約として期限や事後チェックなどマニフェストとしての扱いを受けることを嫌い明言を避け続けていたが[要出典]、実際に2003年衆院選が行なわれる段になると、小泉自民党を含む主要政党のほとんどがマニフェストを掲げて選挙戦を戦うこととなった。菅個人は、この2003年衆院選において初めて比例を辞退して小選挙区のみで出馬し、比例上位優遇で国替えしてきた鳩山邦夫に完勝した(ただし、鳩山邦夫も比例復活)。
年金未納問題・党代表辞職へ
小泉内閣の閣僚の国民年金未納が相次いで発覚した際、菅は街頭演説で「ふざけてますよね。“未納三兄弟”っていうんですよ」と自民党議員を批判し、年金未納問題に火を付けることとなった(“未納三兄弟”は、1999年に流行った歌“だんご3兄弟”にちなむ)。年金未納閣僚は、3人に留まらず、その後も続々と発覚し続けた。これをチャンスと捉えて民主党「次の内閣」全員の国民年金納付書を公開して国民にアピールしようとしたところ、菅自身の厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなった[24]。菅は行政側のミスであると何度も主張したが、行政側がその都度強く否定し、マスコミ報道等による世論の風当たりにより、同年5月10日に党代表を辞任せざるを得ない状況に追い込まれた。菅の代表辞任後、社会保険庁側から間違いを認めて国民年金脱退手続きを取り消したこと、同期間に国民年金の加入者であったことを証明する書面が送付された[25]。菅が主張したとおり国民年金の資格喪失は「行政上のミス」によるものであるにも拘らず、事後納付もできないため、未納は解消されず(未納期間2ヶ月)。政治評論家の岩見隆夫からは「菅氏の国民年金未加入問題は、本人の申し立て通り『行政上のミス』であった。当時、菅は辞めたほうがいいと書いたことは誤り、お詫びします」としつつ「自身の無年金のおかしさに気付き、対応しなかったのは、政治家としてうかつさがあった」といった指摘もなされた[26]

2004年7月、菅は年金未納騒動を吹っ切り自己を見つめ直したいという意図から伝統的な「お遍路さん」スタイルで四国八十八カ所巡りを開始した[27]。また、この間法政大学大学院の客員教授に就任し、「国民主権論」と題して講義を行った [28]

2005年平成17年)9月11日第44回衆院選小泉首相解散による郵政選挙)では、東京都の民主党候補では僅差ながらも唯一小選挙区での勝利を果たした。なお、この郵政選挙では、長年の宿敵と言われた土屋正忠武蔵野市長(当時)が自民党公認(比例単独2位)でついに立候補し、事実上の一騎打ちとなった。郵政民営化・刺客選挙を展開して時流に乗る自民党に対し、民主党は党全体が大逆風を受けていたが、そんな中、菅は全開票所で勝利し、面目を保った(土屋正忠候補は比例復活当選)。

同年9月17日民主党敗北を受けて党代表を辞任した岡田克也の後任を決める党代表選挙に立候補し、小沢一郎からも本命視されていたものの、投票直前の演説で若き日からの辛酸と情熱を巧みに訴えた若手の代表格前原誠司に2票差で敗れた。その後、党国会対策委員長就任を要請されたが、これを固辞し、一兵卒として前原民主党を支えると表明した。

党代表戦に敗れた後は、団塊の世代を取り込むための「団塊党」なる運動や、バイオマスの活用を盛んに提唱し始めた。

代表代行時代(トロイカ体制)

2006年4月7日、「堀江メール問題」による前原執行部総退陣を受けて行われた代表選挙に再度立候補し、小沢一郎と激しく争い47票差で敗れた。その後、党代表代行に就任。代表に就任した小沢一郎、幹事長の鳩山由紀夫と菅の3人による挙党一致体制はトロイカ体制と呼ばれ、2009年の政権交代の原動力となった[29]。2009年5月に小沢が西松建設の違法献金疑惑に関連して自身の公設秘書が逮捕された件で辞任すると、後任の代表となった鳩山由紀夫により、引き続き党代表代行に再任された。小沢一郎も代表代行に就任しトロイカ体制は継続された。党代表代行として国会論戦について主に担当し、国会での代表質問、テレビ出演などを積極的にこなした。

鳩山由紀夫内閣

2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣発足により、内閣府特命担当大臣経済財政政策科学技術政策担当)に就任した。あわせて、国務大臣として「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(いわゆる国家戦略担当大臣)も担当することになった。内閣法第9条に基づく内閣総理大臣臨時代理の指定順位は第1位となり、いわゆる「副総理」格としての入閣となったが、国家戦略相として予算編成の「司令塔」を期待されながら、その役割を果たせていないと鳩山首相から評された[30]。政府の新成長戦略策定の主導を果たしたが、予算編成には間に合わずに出遅れ感を際立たせることにもなった[31]

2010年1月7日財務大臣藤井裕久の体調不良による辞任に伴い、後任の財務大臣に横滑りの形で就任した(内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)は引き続き続投)。財務大臣就任会見で、「90円台半ばあたりが適切」と具体的な為替水準にまで言及する円安誘導発言を行い話題を呼んだほか、財務大臣として日銀に対しより一層の金融緩和を進めるよう働きかけた。一方で、国会質疑の場で乗数効果、消費性向などについての質問を受けると答に窮し、質疑を止めて官僚を呼ぶ[32]など財政政策に対する理解の浅さを指摘された場面もあった。鳩山内閣の支持率が低下する中、菅は各種世論調査で「次期首相にふさわしい人物」の上位に位置する[33]などポスト鳩山の有力候補の一人と目された。

内閣総理大臣

2010年6月27日、日米首脳会談後の記者会見にて

2010年(平成22年)6月2日の鳩山首相の退陣表明を受け、後継を選出する民主党代表選挙への出馬を表明。6月4日民主党代表選挙に勝利し、同日の首班指名選挙によって第94代内閣総理大臣に指名され、6月8日に正式に就任した。

参議院選敗北と党内対立の激化

2010年6月の民主党代表選挙において菅が出馬表明すると小沢一郎の党運営に不満を持っていた枝野幸男仙谷由人らが菅の支持に回った。これに対し小沢グループは菅の対抗馬の擁立を模索し、樽床伸二が名乗りを挙げた。選挙の結果、樽床を破った菅は、反小沢の急先鋒ともいわれた枝野、仙谷をそれぞれ党幹事長、官房長官に起用し、小沢の意向により廃止された政策調査会を復活させた。また小沢、鳩山代表時代に作成されたマニフェストの一部修正にも取り掛かった。こうして政権交代の原動力とも言われたトロイカ体制は崩壊し、マスコミなどから"脱小沢"とも称される路線に傾いていくこととなる。こうした動きを世論はおおむね評価し、内閣支持率は60%前後という高水準で内閣は出発した。

しかし、2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙では菅の消費税をめぐる発言の迷走などがひびき、獲得議席は現有の54議席を大きく下回る44議席にとどまった。この結果、参議院で過半数を失うねじれ状態にとなり、菅の党内における求心力は低下した。9月に行われる党代表選に向け、菅は再選に意欲をみせるが、とくに小沢に近い議員グループを中心に党執行部の参院選敗退の責任を問う声が強まり、小沢を擁立する動きも加速した。こうして現職の総理と党内最大派閥の領袖の全面対決の構図となり、党分裂も懸念される事態となる中、前首相の鳩山由紀夫が菅、小沢両者の仲介に乗り出した[34]。告示直前まで両者の調整が行われたが、菅は密室談合となるのを懸念し両者折り合わず、最後に菅-小沢会談が行われたが、結局物別れに終わった[29]。鳩山はこれまでの菅続投支持から一転、小沢支持を表明。これを受け小沢は告示日である9月1日に出馬表明し、代表選での菅との直接対決に突入した。

この代表選において両陣営の激しい多数派工作が行われ、立会演説会における動員が指摘される[35]など激しい選挙戦となった。政策面では金銭問題が取りざたされる小沢を意識し、菅はクリーンでオープンな党運営や雇用政策の重視を主張し、一方の小沢は衆議院総選挙での2009マニフェストの順守、地方への紐付き補助金の一括廃止、早期の消費税率アップの反対など主張した[36]

9月14日に国会議員による投開票が行われた結果、菅は小沢一郎を下して再選を果たした[37]。小沢の出馬表明当初は党内最大グループを率い、鳩山グループの支持を取り付けた小沢が国会議員票では優勢との見方もあった[38]が、菅は報道各社による世論調査で小沢を大きく上回る支持を得たことを背景に攻勢を強め[39]、最終的には国会議員票でも小沢を上回った。

代表選挙後に行われた内閣改造・民主党役員人事では、仙谷官房長官は留任、枝野の後任の幹事長に外相の岡田克也、岡田の後任の外相に前原誠司を充てるなど非小沢系が要職に起用され、結果的に「脱小沢」を強化 した形となった[40]が、副大臣・政務官人事では小沢グループからも多数起用し、党内融和に一定の配慮を示したとも見られている[41]

この代表選で再選されたことにより内閣支持率は急速に回復するが、代表選期間中に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件への対応が批判を浴びたことなどにより支持率は再び低下に転じた。

東北地方太平洋沖地震への対応と菅おろし

2011年に入って以後も政権の低迷は続き、前原誠司が自身の外国人献金問題で外務大臣を辞職し、菅自身にも外国人献金問題が発生したが、3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)及びそれに付随する形で福島第一原子力発電所事故が発生すると、地震災害並びに原子力災害の対策に与野党が集中することとなり、菅内閣への退陣運動は一時的に中断された。

5月6日、菅は緊急記者会見を開催し、中部電力浜岡原子力発電所に対して「(迫りくる東海地震への)安全確保がなされるまで原子炉運転を停止するよう」指示を出した[42]

菅は震災の発生を機に国会のねじれを解消し、復興対策を円滑に進めるため、自民党に対し大連立を打診したが、結局、不発に終わった[43][44]。これに加え、4月に行われた統一地方選で与党が敗北するなど、与党・民主党内でも菅政権に対する不満が募り、小沢一郎を中心とする民主党一部勢力が「菅おろし」への動きを活発化させるようになる[45]

そして6月2日、菅の地震・原発災害への対応が不十分であるとして野党の自民・公明両党により内閣不信任決議案が衆議院本会議に提出・上程された。小沢に近い議員を中心に野党の不信任案に同調する動きが強まり、前首相の鳩山由紀夫も同調する構えを見せ、一気に不信任決議の可決や党の分裂が懸念される事態となった。菅は不信任決議投票の本会議を前に鳩山と会談し、自らの退陣を匂わせて不信任決議案に反対させる合意を取り付け、その後の民主党代議士会で「震災対応にメドをつけたら若い人に責任を引き継いでもらいたい」と語った。これを受けて小沢グループは不信任案に同調する方針を撤回し、当日の衆議院本会議で内閣不信任決議案は否決された[46]

退陣へ

不信任決議案が否決されて以降、「震災対応のメド」がいつになるのかという解釈をめぐり、政権内でも見方が分かれ、官房副長官の仙谷由人など閣内の一部からも早期退陣論が出るようになった[47]。菅が退陣した上での大連立を模索する動きもあったが[48]、菅自身は、自然エネルギー庁構想を掲げ[49]、再生エネルギー法案を通そうと模索し、続投することに意欲をみせた[50]。しかし、与野党からの早期退陣の要求は止まず、6月27日に会見を開き、自らの退陣する条件として、「今年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立」を挙げ、これを以て「『一定のめど』に当たる」とした[51]

7月13日には、会見において「原発に依存しない社会を目指すべき」と表明し、大きな反響を呼んだ[52]。辞任が取りざたされる中での発言ということもあり、財界や国内の大手メディアを中心に「延命策」、「具体性に欠ける」との批判を受けた。その一方、原発の議論に一石を投じたと一定の評価をする声もある[53][54]

2011年8月26日、菅は退陣の条件としていた3法案の成立を受け、「本日をもって民主党代表を辞任し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞する」と辞任を表明した。 「厳しい環境のもとでやるべきことはやった。一定の達成感を感じている。国民の皆さんのおかげ。私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」と述べた。福島第一原発事故について「総理としての力不足、準備不足を痛感した」と振り返った[55]。8月29日に民主党代表選が行われた結果、後任の総理大臣には菅の下で財務大臣を務めた野田佳彦が選出された。

今後の自身の活動として、8月29日のブログにて「再生可能エネルギー促進はライフワーク」とし、植物のエネルギー利用を図るため「『植物党』を作りたい」と記している[56]

主な政策・主張

内政

為替政策
  • 財務大臣に就任した当日の2010年1月7日、1ドル=92円前後で推移してきた外国為替相場について「経済界では90円台半ばあたりが適切という見方が多い。もう少し是正が進み、円安が進めばいい」と述べ、「95円前後の水準が望ましい」との考えを示した。この発言を受け、東京外為市場では円売り・ドル買いが加速。円は50銭以上も下落し、1ドル=92円台後半で取引された[68]。また、2010年9月14日に行われた代表選で再選された翌日、日本では6年ぶりとなる為替介入を実施。菅は翌週に行われた英紙フィナンシャル・タイムズとのインタビューで、為替に急激な変化があれば、外為市場への介入は「不可避」との考えを示し、「経済政策、金融政策など、トータルとして為替が低い水準になるような結果をもたらす政策が必要だと思う」と述べている[69]

憲法

外交・安全保障

2010年6月27日、日米首脳会談後の記者会見にてアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ(右)と

人物像

人柄・人物評

これらの発言は菅語と呼ばれ[85]、真意が国民に伝わっていないと指摘されている。広報担当の内閣審議官下村健一は「何を言うかではなく何をやるか」が菅の持論であり、国民への説明を求めているがなかなか変わらないと述べている。またポピュリズムとの批判は激しく外れているとし、自身の年金未納問題について役所のミスであると説明したものの失脚に追い込まれた経験が、菅が世論に無頓着である原因であると述べている[85]

政治家としての信念・言行

政治家の原点

2010年(平成22年)6月8日総理大臣官邸での記者会見の際には、「政治の役割は国民、世界の人が不幸になる要素をいかに少なくする『最小不幸社会』を作る事だ」と述べた[88]。その中において、「たとえば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ政治が力を尽くすべきだと、このように考えているからであります。」と発言した。
当時菅の選挙を手伝っていたジャーナリスト下村健一(元TBSアナウンサー)によると、「初当選から十年で自民党に対抗しうる勢力をつくり、その後十年で天下をとる」話を聞かされていたという(因みに下村以外に当時学生だった久和ひとみも菅の事務所に出入りしており、選挙の際はウグイス隊長を務めた。また、歌人の俵万智も久和の下でウグイス嬢を務めた)。

パフォーマンス

自身のO-157に関連する対応でカイワレ大根が打撃を受けた時には、カイワレ大根、狂牛病が騒がれると牛丼トリインフルエンザが騒がれると焼き鳥をそれぞれ食べた。自著『大臣』で、カイワレ大根を食べるプレゼンテーションは親交のある雑誌編集者、中川右介からのアドバイスだったことを明らかにしている。なお、カイワレ大根のパフォーマンスについては、東京地裁の判決文において、「(カイワレ業者などが)納得するのであれば、批判の限りでない」が「(カイワレ大根がO-157に汚染されていたという)自ら招いた疑いを解くことができると期待してのことであれば、国民の知性を低く見過ぎるのではあるまいか」と批評されている[90]。ただしこの種のパフォーマンスとしては菅が最初ではなく、水俣病問題で三木武夫が魚を食べるパフォーマンスをした例がある。

野党時代

民主党代表として
「一億総白痴化装置」発言
2006年1月27日放送の討論番組『朝まで生テレビ』の中で、大宅壮一の言葉を引用して「テレビの影響で一億総白痴化が進んでいる、だから郵政選挙で自民党が勝った」と発言。これについて2010年8月3日の衆議院予算委員会で、番組に出演していた自民党の平沢勝栄から「郵政総選挙は一億総白痴化が進んだ結果として自民党が勝った。2009年に民主党が勝ったのは一億総白痴化の結果か」と問われ「あの刺客騒動などを通して、何かすべてがそこに集約されるような選挙になったという意味では、そういった影響がそういう形で出たという趣旨のことを申し上げた」「郵政の場合の本来の政治とは違うところでの判断が多かったのに比べると、政権交代をやるべきかどうかというのは若干意味合いが違うのではないか」と答弁。平沢は「要するに、民主党が勝ったときは国民が賢明、自民党が勝ったときは国民が総白痴化だ、こういうことを言いたいのだろう」と述べた[92]
YKKK
かつては自民党の山崎拓、加藤紘一、国民新党亀井静香としばしば意見交換を交わすなど連携を深めており、4人の頭文字から「YKKK」とも称されていた。山崎は2008年12月14日に4人そろって出演したテレビ朝日系の番組サンデープロジェクト内において「この4人が政界再編の一つの軸となり得る」と強調、その動向が注目された[93]
「子供の生産性」発言
2007年1月、柳澤伯夫厚生労働大臣の「産む機械」発言が政治問題化した際、代表代行としてこれを批判したところ、2月6日、自民党中川秀直幹事長によって、「東京は日本で一番生産性の低い大都市。何の生産性か、それは子どもの出生率において…」という民主党大会(2007年1月)における菅の演説が中川のホームページで取り上げられ、「出生率と生産性を結びつけるということは、出産と機械が結びつくことではないのか」と反撃されたのを皮切りに、翌日、公明党議員からも、名古屋市内での演説(2007年1月18日)や、山陰中央新報のインタビュー(2006年8月5日)における同様の発言を非難され、波紋を呼んだ。これら「産む生産性」発言の真意については、「12月の衆院本会議で同様の趣旨の発言をしているので議事録を読んでください」、「生産性のいい景気のいい地域では、出生率の点では低いところが多い」と弁明した後、自身のホームページで「広辞苑によれば、生産という言葉には出産という意味がある」と反論した。
2007年東京都知事選挙
2007年4月東京都知事選挙への出馬待望論が民主党内でたびたび沸き起こった。背景には民主党が都議会で与党だったにも拘らず独自候補の擁立を図る小沢執行部の方針と人選がなかなか決まらぬお家事情があり、党中央の要職にある菅本人が出馬の可能性を否定し続ける中、石原慎太郎東京都知事に対抗できる目玉候補として朝日新聞などにも立候補を促され続けたが、これまでどおり「国政に携わり政権交代を実現する」ため「太陽が西から出ても、出ることはない」と固辞を貫いた。その一方で浅野史郎宮城県知事など党内外の知名度の高い人物に出馬を打診したとされるがことごとく失敗した。この問題では、菅直人と親交関係にある五十嵐敬喜法政大学教授らが立ち上げた市民団体「浅野史郎さんのハートに火をつける会」(現都民のハートに火をつける会)などの説得に応える形で浅野が立候補を決意したことで、民主党は独自候補の擁立を見送って社民党などとともに支援に回ることとなったが、浅野があまり都政に精通していなかったことやなかなか決断せず立候補の表明が遅れたこと、さらに日本共産党が擁立した吉田万三足立区長との一本化に失敗したことなどが響き、浅野は石原知事に惨敗した。
自公政権に対して

政権交代後

これに対し、新自由主義の経済学者池田信夫は、自身のブログで、「日産の業績が回復した最大の原因は「大量解雇」ではなく、円安で輸出が大幅に増えたからなのだ」「日産がリストラしていなかったら倒産して、もっと多くの人が職を失っただろう。」と主張し、菅の発言を批判した[111]

震災、原発への対応


菅に対するメディアの反応、評価
  • 日本国内のメディアでは、国民向けの「一方的な」[128]メッセージを発する以外に地震発生から2週間以上も記者団の取材や質問に応じず、国会での答弁も行わなかった菅首相について「表舞台に姿を現さない」[129]「首相のリーダーシップが見えない」[129]「引きこもり」[130]「枝野官房長官に説明を丸投げ」[130]「パフォーマンスばかりが目立つ」[131]などと報じている[128][129][130][131]日本経済新聞は「原子力には詳しい」と自負していた菅が「臨界って何だ」と発言したと報じており、菅に対する周囲の不安が出番の激減につながっているとしている[132]
  • 読売新聞は、対策会議が多数立ち上げられていることについて「指揮系統や役割分担がハッキリしない」「政府全体の優先順位が見えない」等の官僚の声を紹介。菅首相がどう指導力を発揮するか正念場であるとしている。また菅は東京電力や原子力安全・保安院、原子力安全委員会(読売新聞によると菅は「あいつら」と呼んでいるという)へ強い不信感を持っており、「セカンドオピニオンも重要」として次々に増員される内閣官房参与への依存を強めていると報じられている[133][134]。しかし、小佐古参与が辞任した問題では、そもそも菅が小佐古と面識がなく、任命に際して事前の面談が行われなかったこと、慰留が細野補佐官に丸投げされていたことが明らかとなった[135][136]
  • 3月29日に菅は初めて国会で答弁を行った。野党側は、菅が震災翌日に福島第1原子力発電所を視察する「政治的パフォーマンス」を行ったことで事故対応の初動に遅れが生じたと批判、菅は反論しリーダーシップを発揮していると強調した。菅の答弁について日本経済新聞は「自民党政権や東京電力への責任転嫁に躍起」と報じている[128]
  • 菅の発言については次のような批判がある。
    • 岩見隆夫毎日新聞客員編集委員) - 片山虎之助の「あなたには心がない」との発言を引用し、松本参与との会談での発言問題などについて「言った・言わないのトラブルが多い」「不都合な発言ならなかったことにしていい、とでも考えているのか」「とにかく、菅の言葉には、心がない」と批判[144]
    • 阿比留瑠比産経新聞) - 「『思いつき』だけの軽はずみな発言を続ける首相はもはや『歩く風評被害』」と批判[145]
岩見・阿比留とも「10年、20年住めない」発言を菅が「事実無根」「松本の発言」としたことを疑問視しており[144][145]、それぞれ「懇切に説明」[144]「誤解を解く努力をすべき」[145]と指摘している。
  • ウォール・ストリート・ジャーナルマイケル・オースリンは枝野官房長官が前面に立ち、菅がリーダーシップをとっていないことは「深刻な問題」であると指摘している。また、菅政権の動きの遅さについて、「国の一大事における政府の無能ぶりを目の当たりにし、単に日本国民が政治システムへの信頼感を失ってしまうこと」は日本の立憲政治にとって最も危険であると述べている[146]
  • 産経新聞によると、脱原発発言については、長年、反原発を唱えてきた弁護士で、イタリアの極左テロ組織「赤い旅団」との関係も指摘されているイタリア人ジャーナリストのピオ・デミリアとイタリア料理店で夫人の菅伸子と共にテーブルを囲み「日本も脱原発を決めたイタリアと同じく、原発の是非を国民投票でやりなさい」と言われた日以降、脱原発へ踏み込んだのではないかと報じている[147]。このような批判に対し、菅の下で審議官を務めた下村健一は、社会市民連合から初出馬した際の政策チラシに脱原発の内容が書かれていることを示して、「延命のための思いつき」という批判には当たらないと反論している[148]
  • 国内のメディアでは菅の原発事故への対応に批判的な論調も見られるが、ガーディアン紙特派員が「東電幹部の首根っこを抑えた菅前首相は及第点」と評する[152]など、海外を中心に一定の評価をする声も存在する。また、第2ドイツテレビ(ZDF)は、ドキュメンタリー番組「フクシマのうそ 」の中で菅が事故対応をめぐり、「原子力村」と対立したことが国内メディアでの菅批判や政界における菅おろしの流れにつながったのではないかと指摘している[153]

疑惑・スキャンダルなど

辛光洙釈放署名問題

菅は社民連所属新人議員時代に、先輩議員にあたる田英夫の求めに応じ、在日韓国人政治犯29名の釈放の要望書に署名したが、この中に北朝鮮による日本人拉致の実行犯である辛光洙を始めとする北朝鮮スパイ容疑者10名が含まれており、現在に至るまで世論から批判・追及を受ける事となる(辛光洙#在日韓国人政治犯釈放の要望書について参照)。

在日韓国人違法献金問題

外国人からの違法献金問題で前原誠司外務大臣を辞任した直後の2011年3月11日、資金管理団体が、2006年と2009年に、金融機関の元理事で、現在、横浜市内で不動産業や飲食店などを営む複数の会社で代表取締役を務め、町田市などでパチンコ店を3店舗経営し年商が約50億円にのぼる[154][155]河本善鎬という通名の日本人名を持つ在日韓国人[156]から計104万円の献金を受け取っていたことが朝日新聞の取材で発覚した。在日韓国人系金融機関は、旧横浜商銀信用組合(現中央商銀信用組合)。献金を行った元理事は在日韓国人で、外国人からの献金を禁じた政治資金規制法違反にあたる。なお献金を受け取った2006年は民主党代表代行、2009年は政権交代後、副総理国家戦略担当大臣だった時期にあたる[157]。菅本人は献金の受け取りを認めたものの、元理事が外国人だということは知らなかったと主張した。これを受けて、自民党公明党みんなの党からは菅の首相退陣を求める声が上がった[158]

同年4月8日、菅の資金管理団体「草志会」はこの男性が韓国籍であると確認した上で、受け取った献金104万円を在日韓国人男性に3月14日に返却していたが分かった。[159]。週間文春は新聞で報じられた3月11日に「落ち着いたら何でもしますから、とにかく逃げて下さい」、3月12日に「過去も現在も未来も会ったことはなかったことにしてほしい」と2度に渡り菅本人が直接在日韓国人男性の携帯に電話連絡をしていたと報じている[160]。また、5月には、神奈川県の住民らが菅に対する告発状を東京地検に提出した[161]。しかし、東京地検特捜部は2011年10月、菅が外国人であるとの事情を知って献金を貰った証拠が無いとして不起訴としている[162]。その後、告発していた神奈川県の住民らが、東京地検特捜部の不起訴処分を不服として、検察審査会に審査を申し立てした[163]が、東京第3検察審査会は審査の結果、不起訴相当と議決した[164]

日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金問題

2011年4月に行われた第17回統一地方選挙三鷹市議選に、よど号ハイジャック事件を起こしたよど号グループの元リーダー田宮高麿と、石岡亨松木薫を欧州から北朝鮮に拉致した結婚目的誘拐容疑で国際手配を受けている森順子の長男森大志が立候補したが、この森が所属する政治団体「市民の党」(東京、酒井剛代表)から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」(神奈川、奈良握代表)に菅の資金管理団体「草志会」が2007年に5000万円、2008年に1000万円、2009年に250万円の、計6250万円の政治献金を行っていたことが政治資金収支報告書から明らかになった[165][166][167]。市民の党代表の酒井は、菅が初当選した選挙を手伝い、民主党議員約100人の選挙応援も行った間柄で[168]、酒井も「菅とは30年ぐらい前からの付き合い」と述べている[169]

国会中継も行われた2011年7月6日の衆院予算委員会での石原伸晃への答弁において、政治献金をしていたのは「事実」と認め[170]、7月7日の衆議院予算委員会で、自民党議員の磯崎陽輔への答弁で、6250万円を与える意味は何なのかと聞かれた際には、「私の判断で寄付をした」「党の活動の連携支援のためだった。政治的にいろいろな意味でプラスになると考えた」と述べたが詳細は明らかにせず、返金要請の可能性については「返金を求めるつもりはない」と明確に否定している[171]。加えて、政権交代をめざす市民の会に対し5000万円を提供した2007年、民主党から草志会に計1億2300万円の献金があり民主党が事実上市民の党などを支えていた形だった[172][173]

また、自民党・参議院議員の西田昌司は2011年8月11日の参議院予算委員会で、草志会が政権交代をめざす市民の会に対し2007年4月15日~12月28日の間、計8回に分けて5千万円を寄付しているが、5月25日に原資となりうる民主党本部からの3千万円の寄付を受領するまで帳簿上では現金が足りない状態になっており、5月8日に行っている500万円の寄付は、事実上不可能だった計算になることや、帳簿上の不足金額も5月8日時点の357万1033円から5月14日時点の658万5593円まで増えているが、草志会の報告書には借入金などの記載はなく、帳簿上、一時的に現金が足りず寄付が不可能な状態に陥っていたことを指摘し、西田は「残高がマイナスになることはありえず収支報告書の記載はでたらめだ」「存在しない金をどこから持ってきたのか明らかにすべきだ」と政治資金規正法の虚偽記載にあたる可能性を言及した。これについては日大法学部教授の岩井奉信も「社会通念上、数百万円を立て替えの一言で処理するのには問題がある。借入金としてきちんと処理し報告書に記載すべきであり、不記載の恐れがある」と述べている[174]

さらに菅が自社さ与党訪朝団の一員として1995年3月に平壌を訪問した際、当時、対日工作を仕切っていた北朝鮮の金容淳党国際部長(朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長)から、菅や鳩山由紀夫が贈り物を受け取っている写真も見つかっており[175]、この件については、自民党も弁護士や会計士、元警察官僚などを中心とする菅首相拉致関係献金疑惑追及プロジェクトチームを立ち上げ調査を始めており[169]、7月29日には、平沼赳夫が代表を務める超党派の「拉致救出議員連盟」が全会一致で、この献金問題を解明する調査特別委員会を設置することを決め、調査には東祥三拉致担当副大臣や拉致被害者の支援団体も協力すると明言しており[176]、産経新聞はアメリカ情報機関や公安当局も献金先の団体に関心を寄せていると報じた[177]

2011年7月17日の産経新聞では、菅が酒井代表が主筆を務め市民の党が推す議員の選挙を詳しく報じるなど事実上の機関紙として機能していた「市民の党をつくる新聞」と書かれた新聞「新生」に対し、30年前から寄稿したりインタビューに応じたりしていたことが分かったと報じられた。産経新聞の調べによると、菅が1983年の衆院選を前に、「市民派の象徴というべき人物」と自身を紹介したこの新聞のインタビューに応じ、軍縮に絡み「レーガン米大統領とアンドロポフソ連書記長をスペースシャトルに乗せて青い地球を見せる」と述べており、1984年1月の紙面には「市民政治の芽を太い幹に」との見出しで「労働運動と市民運動が両輪となるような運動のあり方をぜひ追求したいと思う」といったメッセージを寄せていた[178]。またこの新聞はよど号ハイジャック犯の元リーダー田宮高麿の著書「わが思想の革命」の書評に大きく紙面を割き、「チョソン(北朝鮮)に来てから、これまでの18年間は自己を革命化する日々だった」という田宮が北朝鮮から送ったメッセージを1988年4月に掲載しており、産経新聞は「市民の党側が、菅や拉致容疑者側と長年近い関係だったことが伺える」と報じている。

この件に関して北朝鮮による拉致被害者家族連絡会のメンバーからも激しい批難をうけた[179]。2011年7月21日の参院予算委員会で菅は当初、「そういう団体と承知していなかった」「拉致被害者の帰国を実現できないことは申し訳ない」「承知しておらず、謝ることにはならない」と答弁していたが、参考人として出席した家族会事務局長の増元照明から「菅首相は辛元死刑囚の嘆願書への署名について、うかつだったと説明され、われわれ家族会も了承していたが、これで2度目だ。先ほどから分からない、知らなかったなどと答弁されていたが、国民の前で献金の意図を明確にしてほしい」と訴えられ、自民党の山谷えり子からも「わけの分からない団体に2億円も出すのか?」などと厳しく追及された。これを受けて菅は「そういうこと(=拉致事件との関係)があるなら、(問題団体との)お付き合いを控えたい」「そういうことがあるなら、大変申し訳なく思う」と、あくまで条件付きながら陳謝した[180][181]

この献金問題については、2011年7月当時、夕刊フジを含む産経新聞がほぼ独占して報道している状態であった[182]

その他

縁戚関係

家族・親族

1891年明治24年)8月[188]~没
1912年大正元年)12月生[188]~没
1921年大正10年)8月[188]
1945年昭和20年)10月生~
1972年(昭和47年)10月生~

系譜

菅家岡山県岡山市北区建部町、東京都武蔵野市
これらの土地について、地元の不動産業者は「取引がほとんどなく、標準的な価格は出せない」と 話しており、資産価値は高くないという[191]。菅の事務所によると、土地のほとんどは亡くなった父親から1982年ごろに生前贈与された山林や原野[191]。菅家は地元では有名な旧家だった[191]
資産公開によると、菅首相夫婦は東京都武蔵野市マンションを共有しているほか、本籍地の岡山市北区に土地がある[191]。面積は菅首相が約6万8648平方メートル、伸子が約8万654平方メートル[191]。合併前の旧建部町の町史によると、菅家は代々、庄屋を務めた[191]。地元に住む一族の男性(菅姓)によると「近所のお年寄りは『家から見える土地はすべて菅家のものだった』と話している」という[191]
姫井家(岡山県浅口市金光町
       (三谷)
        純子  ┏女
        ┣━━━┫   
 菅實   ┏菅寿雄  ┗菅直人
 ┣━━━━┫       ┃     ┏菅源太郎
 妙子   ┗千恵子    ┣━━━━━┫
(杉)     ┃   ┏伸子     ┗男
        ┣━━━┫
        ┃   ┗姫井成
       姫井淳
 
 
 
 
 
 
 
 
菅實
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津下健哉
 
(娘)
 
菅寿雄
 
姫井千恵子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
菅直人
 
菅伸子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
菅源太郎
 
 

主な所属議員連盟

略歴

著書

単著

共編著

脚注

  1. ^ a b 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)192頁
  2. ^ a b 木下厚著『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』105頁
  3. ^ 週刊新潮』(2010年6月17日号)27頁「菅直人の研究」
  4. ^ 週刊新潮 2010年7月8日号(2010/07/01発売)「市民派の仮面をつけた独裁者「菅直人」総理が目指す「小沢一郎」前幹事長以上の強権」。
  5. ^ 蔵前ジャーナル 2009年冬号(No.1016)
  6. ^ 木下厚著『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』107頁
  7. ^ 本学卒業生が内閣総理大臣に就任
  8. ^ 『弁理士への道』より
  9. ^ a b 木下厚 『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』108頁
  10. ^ 社民連十年史 社会市民連合結成前夜江田五月公式サイト
  11. ^ ザ選挙
  12. ^ a b 「私の国会報告」市川房江著、市川房枝記念会出版部 ISBN 978-4990011758
  13. ^ 社会市民連合結成江田五月公式サイト
  14. ^ 飯島勲 (2011年6月11日). “「すっから菅総理」のスタンドプレー”. プレジデント2011/07/04号. http://president.jp.reuters.com/article/2011/06/11/77BE92C8-9277-11E0-B097-061F3F99CD51.php 2011年6月20日閲覧。 
  15. ^ カレル・ヴァン・ウォルフレン 『人間を幸福にしない日本というシステム』 毎日新聞社、1994年ISBN 4620310190
  16. ^ 厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー概要】[1]
  17. ^ 厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー調査結果まとめ】1[2]
  18. ^ 厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー調査結果まとめ】2[3]
  19. ^ 厚生労働省報道発表資料【堺市学童集団下痢症の原因究明ー調査結果まとめ】3[4]
  20. ^ 裁判所判例検索システム 該当裁判の判決文[5]
  21. ^ 菅直人 (2002年3月15日). “今日の一言”. 2010年9月22日閲覧。
  22. ^ 年金政策のパンフレット - 自民党PDFファイル)
  23. ^ 「菅直人の今日の一言」2007年6月1日
  24. ^ 福田長官ら4閣僚が未納 年金保険料、菅民主代表も47NEWS 2004年4月28日
  25. ^ 社会保険庁が菅代表の国民年金脱退手続の誤りを認める民主党 2004年5月14日
  26. ^ 2004年7月17日毎日新聞、岩見隆夫「近聞遠見:菅さんにお詫びします」
  27. ^ 但し、四国八十八カ所巡りは、愛媛県松山市の53番目の札所である、圓明寺迄である。
  28. ^ 菅直人 (2002年12月22日). “今日の一言”. 2011年7月12日閲覧。
  29. ^ a b “菅首相の変節 「トロイカ」体制ついに破綻”. 産経新聞. (2010年9月1日). http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/434673/ 2010年9月19日閲覧。 
  30. ^ 「国家戦略になっていない」 鳩山首相が戦略室の“機能不全”認める(産経、09.12.2)[リンク切れ]
  31. ^ “<スコープ>菅氏ようやく主導権 予算編成は出番なく”. 東京新聞. (2009年12月31日) 
  32. ^ 第174国会、参議院予算委員会-1号 平成22年01月26日 議事録
  33. ^ “舛添氏トップ維持、鳩山首相は5位=2位に菅、渡辺氏並ぶ−次期首相候補”. 時事通信社 (ウォール・ストリート・ジャーナル日本版). (2010年4月17日). http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_51994 2009年4月17日閲覧。 
  34. ^ 日本経済新聞(2010年8月27日)
  35. ^ “菅首相に「辞めろ」「出直せ」街頭演説で痛烈ヤジ…民主代表選”. スポーツ報知. (2010年9月5日). http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100905-OHT1T00048.htm 2010年9月8日閲覧。 
  36. ^ “首相、小沢氏の論戦の主なポイント”. 時事通信社. (2010年9月11日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010091100331 2010年9月19日閲覧。 
  37. ^ 菅首相が小沢氏を破る 産経新聞 2010年9月14日閲覧
  38. ^ “【小沢氏出馬】一騎打ちの民主代表選、多数派工作激化 鳩山、羽田両氏が小沢氏支持に”. 産経新聞. (2010年8月27日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100827/stt1008270027004-n1.htm 2010年10月17日閲覧。 
  39. ^ “【小沢氏出馬】一騎打ちの民主代表選、多数派工作激化 鳩山、羽田両氏が小沢氏支持に”. 朝日新聞. (2010年9月16日). http://www.asahi.com/politics/update/0906/TKY201009060411.html 2010年10月17日閲覧。 
  40. ^ “菅首相:外相には前原氏起用 党人事は「脱小沢」を強化”. 毎日新聞. (2010年9月17日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100917k0000m010123000c.html 2010年10月17日閲覧。 
  41. ^ “【副大臣・政務官人事】閣議決定 小沢系からも登用 党内融和に配慮”. (2010年9月21日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100921/plc1009211126009-n1.htm 2010年10月17日閲覧。 
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  192. ^ 菅伸子夫人、演説デビュー (MSN産経ニュース)[リンク切れ]

注釈

  1. ^ 菅 直人の「直」の字は本当は2画目がやや斜めなのが正しい。
  2. ^ 堺市のO157感染とカイワレとの因果関係が争われた裁判における、大阪地方裁判所と大阪高等裁判所による判決の要旨は以下の通り。
    • 2002年3月15日 大阪地方裁判所 平成9年(ワ)第2222号 損害賠償請求事件
      カイワレが原因とする厚生省(当時)の判断は問題があり、厚生労働省に対してカイワレの生産業者に対して損害賠償を命じた。
      判決文では、厚生省の発表について「当時のO-157感染症の発生状況に照らし、これから更なる調査を重ねなければならない状況下において、かかる過渡的な情報で、かつ、それが公表されることによって対象者の利益を著しく害するおそれのある情報を、それによって被害を受けるおそれのある者に対する十分な手続的保障もないまま、厚生大臣が記者会見まで行って積極的に公表する緊急性、必要性は全く認められなかったといわざるを得ない」として、「中間報告の公表は、相当性を欠くものと認定せざるを得ない」と公表方法の過失を認定した。
    • 2004年2月19日 大阪高等裁判所 平成14年(ネ)第1531号 損害賠償請求控訴事件
      一審の判決を支持し、カイワレが原因とする厚生省(当時)の判断は問題があり、厚生労働省に対してカイワレの生産業者に対して損害賠償を命じた。
      判決文では、厚生省の発表について「公表することによって被控訴人が被る打撃や不利益に思いを至せば、その時点では、公表すべき緊急性、必要性があったものということはできない」として、「公表方法の選択が政策的判断であるという見地に立つとしても、その判断には逸脱があり違法である」と公表方法の過失を認定した。
  3. ^ 写真中央、右側に立つ菅 直人氏及び左側に立つ深谷 隆司氏。東京都総合健康保険組合協議会(東総協)新年賀詞交歓会明治記念館2階「富士の間」にて。
  4. ^ 東京都総合健康保険組合協議会(東総協)新年賀詞交歓会において、明治記念館2階「富士の間」の演壇に立ち新年の抱負を述べる厚生労働省保険局の地方支分部局である関東信越厚生局統括社会保険管理官

関連項目

外部リンク

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