菅野 良松(すがの の ながまつ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・但馬介。
左大史を経て、清和朝中期の貞観11年(869年)外従五位下・加賀介に叙任されるが、翌貞観12年(870年)備中介に遷る。
その後、内位の従五位下に叙せられ、陽成朝の元慶6年(882年)但馬介に任ぜられるが、就任早々以下を言上する。
これは許されて、丹後国の不動穀4000斛、因幡国の不動穀6000斛が但馬国に譲られた[1]。
『日本三代実録』による。