蒲田区

かつて日本の東京府東京市にあった区

蒲田区(かまたく、旧字体:蒲田區)は、東京府東京市(後に東京都)にかつて存在した区である。1932年昭和7年)から1947年(昭和22年)までの期間(35区の時代)に存在した。現在の大田区南部。

かまたく
蒲田区
廃止日 1947年3月15日
廃止理由 特別区の設置
大森区蒲田区大田区
現在の自治体 大田区
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
隣接自治体 【東京都】大森区
神奈川県川崎市
蒲田区役所
所在地 東京都蒲田区本蒲田二丁目二六
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歴史 編集

旧蒲田区に該当する区域は、1878年明治11年)の郡区町村編制法施行の時点では、荏原郡に属し、蒲田新宿村(単に「新宿村」とも)、北蒲田村、御園村、女塚村(おんなづかむら、おなづかむら)、八幡塚村(はちまんづかむら)、高畑村、雑色村(ぞうしきむら)、町屋村、古川村、羽田村、羽田猟師町、鈴木新田、麹谷村(こうじやむら)、浜竹村、下袋村、萩中村、矢口村、古市場村、下丸子村、道塚村、蓮沼村、今泉村、原村、小林村、安方村の1町24村があった。このうち麹谷村、浜竹村、下袋村は1879年(明治12年)に合併して新たな麹谷村となり、この区域の町村数は1町22村となった。

1889年(明治22年)の市制町村制施行に際し、これら1町22村は廃置分合され、荏原郡蒲田村六郷村羽田村矢口村の4村に編成された。

羽田村は1907年(明治40年)、蒲田村は1922年(大正11年)、六郷村と矢口村は1928年(昭和3年)、それぞれ町制を施行し、羽田町、蒲田町、六郷町、矢口町となった。

本區は蒲田町、羽田町、六鄕町、矢口町の合併したもので、市の西南壁を成し隣接川崎市と對峙してゐる。役所は舊蒲田町役場を使用する。市會議員は増員選擧も總選擧の場合も同じく定數二名で、區會議員は定員三十六名の豫定である。神社には鈴木御臺場に穴守神社がある、俗に穴守稻荷と稱して賽者の絶へないのを以て有名である。 — 昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観』より

沿革 編集

名所・施設 編集

交通 編集

鉄道 編集

羽田整備場駅(現整備場駅)、旧・東京モノレールの羽田駅(廃駅)(東京モノレール羽田空港線)、新・羽田駅(現天空橋駅)(京急空港線、モノレール羽田空港線)は開業していなかった。なお、蒲田区域内に羽田空港第3ターミナル駅(京急空港線、モノレール羽田空港線)、新・京浜急行の羽田空港駅(現羽田空港第1・第2ターミナル駅)(京急空港線)および新整備場駅、東京モノレールの羽田空港駅(現羽田空港第1ターミナル駅)、羽田空港第2ターミナル駅(モノレール羽田空港線)が、そして蒲田区域周辺に昭和島駅(モノレール羽田空港線)があるが、蒲田区が存在していた頃は駅周辺の土地の埋め立てが完了していなかった。

道路 編集

関連項目 編集