藤原正雅

平安時代中期の貴族

藤原 正雅(ふじわら の ただまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族藤原南家巨勢麻呂流藤原興方の次男。官位従四位下紀伊守

経歴 編集

円融朝前半の天延元年(973年)ごろ蔵人大蔵大丞を務める。

のち、紀伊守因幡守伊予守と受領を歴任したほか、皇后宮大進を務めた。位階従四位下に至る。花山朝寛和元年(985年実資の女児の三日の祝に際して、正雅は産婦の膳を提供するが、紀伊守として任国に赴任中であったため、実際には子息の師言が衝重十二枚・折敷等を準備している。

官歴 編集

系譜 編集

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原興方
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原師長
    • 男子:藤原師範
    • 男子:藤原師言
    • 女子:藤原高子のち灑子(中務典侍) - 藤原妍子の乳母[4]

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 『親信卿記』
  2. ^ 『小右記』
  3. ^ 『尊卑分脈』
  4. ^ 塚原[1965: 40]

外部リンク 編集