藤原遠理

平安時代中期の貴族

藤原 遠理(ふじわら の とおまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族藤原北家良門流大蔵大輔藤原善理の子。官位従四位下若狭守

経歴 編集

円融朝にて右近衛将監を務める。一条朝雅楽頭に任ぜられたほか、一条・三条後一条朝の10年以上に亘って大膳大夫も務めている。

篳篥の名手で、寛弘4年(1007年左大臣藤原道長春日詣で篳篥を奏したほか[1]寛仁元年(1017年藤原頼通の任大臣大饗でも召されて、道長に「篳篥上手也」と評されている[2]

治安元年(1021年若狭守として受領に転じる。万寿2年(1025年上総介・藤原為章や淡路守・源信成とともに、国司の任期終了後に官物納入や公事を済まさず出家したため、財物をもって弁済するようにを受けた[3]

官暦 編集

系譜 編集

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原善理
  • 母:不詳
  • 妻:橘敏通の娘
    • 男子:藤原成親
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原資経

参考文献 編集

  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
  • 『古記録と日記上』思文閣出版、1993年、97p
  • 『本朝世紀』1898年、經濟雜誌社 、236p

脚注 編集

  1. ^ 『権記』寛弘4年2月28日条
  2. ^ 『御堂関白記』寛仁元年3月4日条
  3. ^ 『小右記』万寿2年2月25日条
  4. ^ a b 『小右記』
  5. ^ a b 『権記』
  6. ^ 『御魯愚抄』
  7. ^ a b 『御堂関白記』
  8. ^ 『左経記』

外部リンク 編集