覚信

平安時代の法相宗の僧

覺信(かくしん、治暦元年(1065年) - 保安2年2月8日1121年2月26日))は平安時代法相宗摂政関白太政大臣藤原師実の子[1]。母は源則成の娘[2][出典無効]一乗院大僧正と号した。

興福寺頼信について出家[2][出典無効]康和2年(1100年)興福寺別当[1]に補任され、永久4年(1116年大僧正に任ぜられた。南都(奈良)の僧が大僧正となるのは行基以来であった[1]一乗院本願[2][出典無効]保安2年(1121年)に死去した[1]享年57。

脚注 編集

  1. ^ a b c d 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “覚信とは”. コトバンク. 2022年9月14日閲覧。
  2. ^ a b c 『尊卑分脈』

参考文献 編集