設楽町

日本の愛知県北設楽郡の町

設楽町(したらちょう)は、愛知県北東部の北設楽郡に属する

したらちょう ウィキデータを編集
設楽町
設楽町旗 設楽町章
設楽町旗
2005年11月21日制定
設楽町章
2005年11月21日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
北設楽郡
市町村コード 23561-0
法人番号 7000020235610 ウィキデータを編集
面積 273.94km2
総人口 3,968[編集]
推計人口、2024年2月1日)
人口密度 14.5人/km2
隣接自治体 豊田市新城市北設楽郡東栄町豊根村
長野県下伊那郡根羽村
町の木 ブナ
町の花 シャクナゲ
設楽町役場
町長 土屋浩
所在地 441-2301
愛知県北設楽郡設楽町田口字辻前14
北緯35度05分50秒 東経137度34分17秒 / 北緯35.0972度 東経137.5714度 / 35.0972; 137.5714座標: 北緯35度05分50秒 東経137度34分17秒 / 北緯35.0972度 東経137.5714度 / 35.0972; 137.5714
設楽町役場
設楽町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

設楽町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村


地図
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概要 編集

奥三河と呼ばれる東三河地方北部に位置する。美濃三河高原に囲まれた山間部の町であり、自治体面積の約9割を山林が占める。地質は、中央構造線から近く、領家花崗岩や領家変成岩が分布する。また、北設楽郡の中心的な町である。

地理 編集

山地 編集

主な山

河川 編集

主な川

湖沼 編集

主な湖
  • 段戸湖

地域 編集

町内の大字 編集

 
設楽町地域(大字)図
(2023年(令和5年)8月現在)

人口 編集

 
設楽町と全国の年齢別人口分布(2005年) 設楽町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 設楽町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

設楽町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体 編集

 愛知県
 長野県

歴史 編集

 
田口劇場
(昭和30年代)

古代 編集

旧石器時代

古くから人の活動が見られ、川向市場口では旧石器時代の石器が見つかっている。

縄文時代

狩猟採集社会だった縄文時代には食糧が豊富だったため多くの人々が生活した。中央構造線から近く、黒曜石の産地にもなった。

弥生時代

しかし、弥生時代になると、山間部の水田開発が困難なため、ほとんど人が住んでいない状態になった。

古墳時代

古墳時代になると名倉盆地に人が住み始めたが、稲作は容易でなく経済力が弱く、小規模な古墳しか見つかっていない。

飛鳥時代

律令時代加茂郡賀禰郷等の一部となる。

平安時代

平安時代末から、高橋新荘(足助荘)、設楽荘(富永荘)の一部として荘園開発がなされ、境川が両荘の境界となった。

中世 編集

戦国時代

戦国時代になると、山家三方衆菅沼氏田峯城を拠点として支配するようになったが、やがて武田信玄や、織田信長徳川家康の勢力下となり、武田信玄によって津具金山の開発も行われた。また、武田信玄の侵攻で領域化されたことで、16世紀(寛永 - 延宝頃)に賀茂郡宝飯郡から設楽郡に移った。

近世 編集

江戸時代

江戸時代には幕府領挙母藩領などであった。

沿革 編集

したらちょう
設楽町
 
旧・設楽町章
1963年制定
廃止日 2005年10月1日
廃止理由 新設合併
北設楽郡設楽町津具村 → 設楽町(新)
現在の自治体 設楽町
廃止時点のデータ
  日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
北設楽郡
市町村コード 23561-0
総人口 6,306[1]
(2005年)
隣接自治体 豊田市北設楽郡津具村東栄町南設楽郡鳳来町作手村
設楽町役場
所在地 愛知県北設楽郡設楽町田口字辻前14番地
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昭和
平成
明治22年以前 明治22年10月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在



田口町村 田口村 田口村 明治33年10月10日
町制 田口町
田口町 昭和31年9月30日
合併 設楽町
平成17年10月1日
合併 設楽町
設楽町
西路村
東路村
中島村
東田内村 清崎村
萩平村
小代村
塩津村
田枯村 八橋村
向林村
永江沢村
小松野村 小松村
柿平村
怒田輪村
荒尾村
長江村
和市村
大名倉村 名倉村 名倉村 名倉村
清水村 納庫村 西納庫村
貝津田村
川口村
湯谷村
久原村 東納庫村
松本村
寺脇村
神子谷下村
市ノ瀬村
社脇村
万場村
猪之沢村
大久保村
大桑村
大平村
宇連村
川向村
田峯村 段嶺村 段嶺村 段嶺村
上西田内村 田内村
下西田内村
筒井村 三都橋村
折立村
栗島村
笠井島村 豊邦村
桑平新田
松戸村
宇連村 川合村
(一部)
振草村(一部) 振草村(一部) 振草村(一部)
(平山・神田・川合)
平山村
神田村
上津具村 (町方) 上津具村 津具村 明治23年10月23日
分割 上津具村
上津具村 昭和31年9月30日
合併 津具村
(山方)
下津具村 (北方) 下津具村 明治23年10月23日
分割 下津具村
下津具村
(南方)

行政 編集

 
旧・設楽町役場
 
津具総合支所

町長 編集

  • 町長:土屋浩(2021年10月23日就任)

副町長 編集

  • 副町長:久保田美智雄

町政機関 編集

本庁舎出納室
  • 総務課
  • 企画ダム対策課(2015年4月1日より企画課とダム対策室が合併)
  • 財政課
  • 町民課
  • したら保健福祉センター
  • 産業課
  • 建設課
  • 生活課
    • 段嶺窓口センター
    • 名倉窓口センター
    • 神田窓口センター
  • 教育委員会
  • 老人福祉施設 やすらぎの里
津具総合支所
  • 管理課
    • つぐ診療所

県政機関 編集

  • 新城設楽建設事務所 設楽支所(田口字川原田6-18)
    • 新城設楽建設事務所 設楽ダム関連事業出張所
  • 新城保健所 設楽出張窓口(田口字川原田6-18)
    新城設楽建設事務所 設楽支所内。以前は別の建物にあった。
    • 新城設楽福祉相談センター 設楽駐在
  • 新城設楽農林水産事務所(本所;田口字小貝津6-2)
  • 東三河教育事務所 設楽教育指導室(田口字小貝津6-2)

市町村合併 編集

合併の経緯

2004年(平成16年)4月8日に設楽町・津具村合併協議会が設置され、2005年(平成17年)9月30日には合併を行うことで合意に達した。2005年(平成17年)10月1日に新たに設楽町が発足すると、2005年(平成17年)11月20日には奥三河総合センターで新設楽町誕生記念式典を開催し、同年11月21日には「設楽町章及び設楽町旗の取扱要領」を制定した。2007年(平成19年)1月1日には設楽町町民憲章を制定した。2014年(平成26年)1月6日には設楽町役場が新庁舎に移転して業務を開始した。

議会 編集

町議会 編集

設楽町議会

国家機関 編集

 
設楽ダム工事事務所

国土交通省 編集

施設 編集

 
設楽警察署
 
設楽町ふれあい広場
 
設楽町こどもセンター
 
設楽郵便局
 
風鈴の径

警察 編集

本部
駐在所
  • 名倉警察官駐在所(東納庫字塞勝)
  • 田峯警察官駐在所(田峯字竹桑田)
  • 津具西警察官駐在所(津具字町尻)
  • 津具東警察官駐在所(津具字上下留)

消防 編集

本部
分署
  • 設楽分署(田口字ヒロカイツ48-2・49-2合併地)
分遣所
  • 津具分遣所(津具字下川原6-1)

医療 編集

主な医療施設
  • 伊藤内科
  • 月新堂医院
  • つぐ診療所(津具):公営
  • 佐々木歯科
  • 伊藤歯科
  • 松本歯科
  • 山富歯科

郵便局 編集

主な郵便局

社会教育施設 編集

対外関係 編集

姉妹都市・提携都市 編集

海外 編集

フレンドシップ相手国

2005年日本国際博覧会(愛知万博)では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれとしてフレンドシップ相手国として迎え入れた[2]

国内 編集

姉妹都市

経済 編集

 
設楽町商工会
 
設楽森林組合
 
JA愛知東 設楽支店
 
名倉地区の牧場

2005年時点の15歳以上就業者数を見ると、第一次産業が706人、第二次産業が787人、第三次産業が1,697人となっており、第三次産業従事者の割合が過半数を占める。また、過去の数値と比較すると、1965年時点ではそれぞれ3,937人、853人、1,859人であり、第一次産業従事者の減少が目立つ。

第一次産業 編集

農業 編集

1990年と2005年を比較すると、農家数は1,122軒(旧津具村を含む)から843軒に減少した。内訳を見ると、第二種兼業農家の割合が減少し(50.8%から32.4%へ)、代わって自給的農家の割合が増加した(31.3%から44.8%)。 主な生産物は収穫量順に、水稲(1,459t)、トマト(1,499t)、キャベツ(359t)、大根(109t)、(66t)となっている。

農業協同組合

畜産業 編集

名倉地区では、成田牧場など牧畜も行われている。

第二次産業 編集

工業 編集

事業所数(従業員4人以上)は、1975年度の41から5年後の1980年度に57にまで増加した。しかしその後は減少傾向にあり、2004年度は15となっている。工業品の出荷額等を見ると、1975年度に75.4百万円であったが1990年度に419.5百万円にまで増加した。その後は3億円台で推移し、2004年に409.4百万円と、再び4億円台に乗せた。

醸造業 編集

特産としては関谷醸造の日本酒などがある。

第三次産業 編集

商業 編集

店舗数は一貫して減少傾向にある。1974年度と2004年度を比較すると、209から102に減少した。対して販売額は、140,294万円から378,012万円に、また1店舗当たりの販売額では684.4万円から3,706.0万円に、それぞれ増加しており、店舗の大規模化を示している。

情報・通信 編集

マスメディア 編集

新聞社 編集

かつてあった新聞社

中継局 編集

生活基盤 編集

ライフライン 編集

電力 編集

設楽町では中部電力株式会社電気を供給している。

旧津具村域での電気事業は津具村#電気を参照

現在の設楽町域のうち旧津具村域を除く地域で初めに電気事業を手がけたのは、旧田口町にあった田口電灯、後の豊川電気である。同社は1917年(大正6年)に開業し、設楽町の前身4町村のうち田口町・名倉村へ電気の供給を始めた。その後段嶺村も供給範囲に追加している。残る振草村は、豊川電気ではなく本郷町(現・東栄町)の本郷電気製材1924年(大正13年)に供給範囲に編入した[3]

設楽町域に電気を供給していた豊川電気・本郷電気製材の2社は1938年(昭和13年)から翌年にかけ中央電力へと統合され[4]、続く配電統制により1942年(昭和17年)に中部配電へと統合、この地域は同社の供給区域へと編入された[5]。戦後の電気事業再編で1951年(昭和26年)に中部電力が発足すると同社の供給区域に組み入れられ[6]、現在に至っている。

ガス 編集

上下水道 編集

電信 編集

教育 編集

 
愛知県立田口高等学校

小中学校に在籍する児童・生徒数は、1995年時点で676人(旧津具村を含む)であったが、2007年時点で429人に減少している。愛知県立田口高等学校は、設楽町立設楽中学校設楽町立津具中学校豊根村立豊根中学校東栄町立東栄中学校と連携した中高一貫教育を行っている。自治体内には名古屋大学の山地畜産実験実習施設(旧草地研究所)がある。

高等学校 編集

県立

中学校 編集

町立

小学校 編集

町立

特別支援学校 編集

県立

交通 編集

 
津具ヘリポート
 
田口バスターミナル

空路 編集

空港 編集

町内に空港は存在しないが、ヘリポートが津具地区に存在する。

ヘリポート
  • 津具ヘリポート

鉄道 編集

かつては田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)や設楽森林鉄道が営業していたが、いずれも1960年代に廃止されており、それ以降は町内に鉄道路線は存在しない。

バス 編集

バスターミナル
  • 田口バスターミナル

路線バス 編集

道路 編集

2005年(平成17年)の道路延長は、町全体で491.8 km(実延長)。うち規格改良済延長は311.7 kmで改良率は63.4%、舗装済道路延長は431.9 kmで舗装率は87.8%となっている。

国道 編集

 国道257号
 国道420号
 国道473号

県道 編集

主要地方道
一般県道

町道 編集

設楽町には400以上に及ぶ町道が存在し、独自の町道標識を持つ[注釈 1]。また、旧津具村にも設楽町道の標識が設置されている[注釈 2]。以下は路線名の例。

  • 町道51号清崎稲目線
  • 町道133号竹桑田清崎呼間線
  • 町道387号名倉宇連線

道の駅 編集

ナンバープレート 編集

観光 編集

 
田峯城本丸御殿
 
田峯観音(高勝寺)
 
日光寺本堂
 
田口白山神社
 
津具八幡宮
 
添沢温泉
 
関谷醸造の蔵
 
設楽町奥三河郷土館

名所・史跡 編集

主な城郭
  • 田峯城 - 田峰菅沼氏が居城としてきた山城。1470年文明2年)築城。近くに田峰観音がある。
主な寺院
主な神社
主な遺跡
街道

観光スポット 編集

温泉
公園
博物館
その他

文化・名物 編集

祭事・催事 編集

名産・特産 編集

出身関連著名人 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 青地に白色の文字で町道番号と町道名称が書かれている。一般的な県道標識に似た六角形をしているが、サイズはひと回り小さい。
  2. ^ それに伴い津具村の村道標識は廃止

出典 編集

  1. ^ https://www.town.shitara.lg.jp/uploaded/attachment/2873.pdf
  2. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  3. ^ 芳賀信男『東三河地方電気事業沿革史』、2001年、pp.186-188,190
  4. ^ 『東三河地方電気事業沿革史』、pp.212,214,216
  5. ^ 中部配電社史編集委員会(編)『中部電力社史』、社史編集委員会、1954年、pp.19-20,39ほか
  6. ^ 愛知県全域が中部電力の供給区域である。中部電力10年史編集委員会(編)『中部電力10年史』、中部電力、1961年

外部リンク 編集