趙 秉昌(チョ・ビョンチャン、: 조병창1810年 - 1883年)は、李氏朝鮮の政治家。本貫豊壌趙氏。初名は趙 然昌(조연창 、チョ・ヨンチャン)。

趙 秉昌
各種表記
ハングル 조병창
漢字 趙 秉昌
発音: チョ・ビョンチャン
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人物 編集

1835年に科挙の文科に及第し、1859年に正二品に昇進、刑曹判書、京畿道咸鏡道の観察使、礼曹吏曹の各判書を経て、議政府有司堂上を歴任した。吏曹判書に在任中は、賜額書院47か所以外の書院を撤廃した。1876年に日朝修好条規の調印に反対し、全羅道楸子島に配流された。1879年に赦免され、1882年大院君政権下で議政府左賛成に任命されたが固辞し、1883年、壬午軍乱において陰謀を企てた廉によって処刑された。

朋党政治においては少論派に属した。

参考文献 編集