農林高校前駅(のうりんこうこうまええき)は、山梨県甲斐市(当時は中巨摩郡竜王町)西八幡に存在した山梨交通電車線

農林高校前駅
のうりんこうこうまえ
NŌRINKŌKŌMAE
玉幡 (0.7 km)
(1.4 km) 今諏訪
地図
所在地 山梨県中巨摩郡竜王町
(現・甲斐市)西八幡
所属事業者 山梨交通
所属路線 電車線
キロ程 7.1 km(甲府駅前駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1937年昭和12年)6月21日
廃止年月日 1962年(昭和37年)7月1日
テンプレートを表示

概要 編集

玉幡駅から南西に走り、釜無川へ向けて向きを変える手前にあった駅で、1面1線の駅であった。駅名の「農林高校」は駅の南にある県立農林高校による。

開業時には存在しなかった駅であるが、実は「仮駅」としては存在した。現在県立農林高校となっている場所には昭和初期に「玉幡競馬場」(甲府競馬場とも称する)という競馬場があり、山梨県競馬会の主催で年2回競馬が行われていた。会社側では会期のたびに「玉幡仮停留場」の名前で数日間のみ仮駅を開設していた。その仮駅を格上げし1937年昭和12年)に常設化したのが当駅で、最初の駅名はずばり「競馬場前」であった。

しかし玉幡競馬場はこの時期には既に閉鎖となっており、跡地は「玉幡飛行場」という陸軍の飛行場となっていた。このため駅も「飛行場前」と改称したが、今度は軍施設が明らかになる駅名が引っかかって「釜無川」と改称。最終的に「農林高校前」に落ち着いたのは、県立農林高校が甲府空襲によって校舎を焼失、1946年(昭和21年)に現在地にあった旧飛行学校に移転した後、1951年(昭和26年)のことであった。なお「飛行場前」への改称年月日は不明。

竜王町(現在の甲斐市)最後の駅で、次の今諏訪駅からは白根町(現在の南アルプス市)となる。

この先で、釜無川を北側を並行して来た県道の「開国橋」の横に専用橋梁をかける形で渡っていた。この「釜無川橋梁」は延長459.6メートルにもなり、沿線随一の絶景地であるとともに撮影地でもあった。なお県道の橋にちなみ当線の橋梁をも「開国橋」と呼ぶことがある。

歴史 編集

  • 1937年昭和12年)6月21日:仮駅を常設駅化し競馬場前駅として開業。のちに飛行場前駅に改称。
  • 1941年(昭和16年):釜無川駅に改称。軍施設が明らかになる駅名を回避するための処置。
  • 1951年(昭和26年)3月20日農林高校前駅に改称。
  • 1962年(昭和37年)7月1日:路線廃止により廃駅。

廃線後の状況 編集

専用軌道の跡地である道路「廃軌道」上に跡が存在する。道が県立農林高校の敷地に突き当たる直前に位置するが、周囲に目標物はなく、自動車整備工場やラーメン屋がある程度で分かりづらい。

ここから先、「廃軌道」はバイパス道の「アルプス通り」に合流して釜無川を渡る。釜無川橋梁は山梨交通電車線廃線後歩道橋に転用され、1968年(昭和43年)に開国橋に併合された。その後開国橋が架けかえられたため、現在では鉄道橋であった姿を見ることはできない。

隣の駅 編集

山梨交通
電車線
玉幡駅 - 農林高校前駅 - 今諏訪駅

脚注 編集

参考文献 編集

  • 花上嘉成『山梨交通鉄道線回想録』(「RM LIBRARY」5号、ネコ・パブリッシング刊、1999年)
  • 山梨交通監修『山梨交通60年史』(BJエディターズ刊、2006年)
  • 鉄道省編『山梨交通』(鉄道省文書)
  • 運輸省編『山梨交通』(運輸省公文書)

関連項目 編集

座標: 北緯35度38分20.2秒 東経138度30分46.6秒 / 北緯35.638944度 東経138.512944度 / 35.638944; 138.512944