迎恩門(げいおんもん、ヨンウンムン)は、1896年まで存在していた牌坊)である。現在は、大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の独立公園内の独立門の正面に、2本の迎恩門柱礎だけが残っており、大韓民国指定史跡第33号となっている。

迎恩門
破壊される前の迎恩門
迎恩門の位置(ソウル特別市内)
迎恩門
各種表記
ハングル 영은문
漢字 迎恩門
発音 ヨンウン=ムン
日本語読み: げいおんもん
文化観光部2000年式
英語
Yeongeunmun
Yeongeunmun Gate
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1897年の独立門(右)建立時に柱を残して撤去された迎恩門(左)。独立館に改名された慕華館(中央)
現在の独立門の前の迎恩門柱礎

概要 編集

 
迎恩門にて冊封使阿克敦中国語版を恭しく迎える朝鮮国王

この門は、漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。中国皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代のが、中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。1407年には慕華楼という使臣のための建物が建てられていたが、1536年に金安老朝鮮語版の建議でそのそばに「迎詔門」を立てた。しかし1539年に明の使臣で来た薛廷寵は、使臣は中国皇帝の詔書や勅書や下賜の品々を持ってくるのに、門の名前が「詔だけを迎える」ではおかしいと言いがかりをつけ、朝鮮側は名前を「迎恩門」に変えた。1606年に来た明の使臣朱之蕃が書いた門の扁額国立古宮博物館にある[1]

日清戦争日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱した。こうして大韓帝国が成立、独立協会は迎恩門を取り壊し、1897年に独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。また迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は独立門建立時に独立館に改名された。

朝鮮国王は、満洲人の使節が来ると、みずから高官を従えて迎恩門まで歓迎に赴き敬意を表し、宴会を催し、を披露して接待し、李氏朝鮮太子慕華館で満洲人の勅使に酌の礼をした。

脚注 編集

  1. ^ 国立古宮博物館 公式サイト「遺物案内 : 遺物検索」 「영은문」と入力して検索すると見られる。

参考文献 編集

  • 崔基鎬韓国 堕落の2000年史 日本に大差をつけられた理由』祥伝社、2001年10月26日。ISBN 4-396-61135-8https://www.sun.s-book.net/slib/slib_detail?isbn=4396611358 

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯37度34分20.14秒 東経126度57分35.46秒 / 北緯37.5722611度 東経126.9598500度 / 37.5722611; 126.9598500