遊佐 慶夫(ゆさ よしお、1889年明治22年)1月18日 - 1944年昭和19年)11月17日)は、日本法学者。専門は、民法・信託法制。学位は、法学博士早稲田大学論文博士・1925年)(学位論文「信託法提要」)。早稲田大学初の法学博士。早稲田大学教授を歴任。

来歴 編集

1889年1月18日福島県安達郡油井村(現・二本松市)に生まれる[1]

1911年、早稲田大学専門部法律科を卒業する[1][2]1914年から1916年にかけてベルリンロンドンベルンへ留学し、帰朝後に早稲田大学助教授に就任する(後に教授となる)[1][2]1920年4月から1942年7月まで専門部法律科長となり[3]、同年7月から1944年11月まで法学部長となる[4]

1925年11月3日学位論文「信託法提要」で早稲田大学より法学博士学位を取得[5]

1944年11月17日脳溢血のため急逝。享年56歳[6][7]

人物 編集

  • 1926年に弁護士事務所を開業する[1]
  • 早稲田大学総長の大浜信泉は、「早稲田大学生え抜きの専任教授であったと同時に、早稲田大学法科の基礎を築くに最も貢献の大きかった人々」として寺尾元中村万吉・遊佐慶夫の3人を「早稲田大学法科の三元老」と呼んだ[8]
  • ハンムラビ法典に大きな関心を寄せており、それに関する論文をいくつか著している。

家族 編集

1936年1月4日、療養中の自宅で腎臓病のため逝去。享年41歳[9]
  • 長男・上治
  • 長女・洋子

著作 編集

著書 編集

論文 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 小野 1936, p. 52.
  2. ^ a b 百年史第2巻 1981, p. 702.
  3. ^ 百年史別巻Ⅱ 1989, p. 1233.
  4. ^ 百年史別巻Ⅱ 1989, p. 1232.
  5. ^ 遊佐慶夫「信託法提要」1925年11月3日、NAID 500000486716 
  6. ^ 「遊佐慶夫氏が死去」『朝日新聞』、1944年11月21日、2面。
  7. ^ 「遊佐慶夫氏死去」『読売新聞』、1944年11月21日、2面。
  8. ^ 百年史第2巻 1981, p. 701.
  9. ^ 「遊佐早大教授夫人死去」『読売新聞』、1936年1月6日、7面。

参考文献 編集

  • 小野久『文検公民科受験指針』啓文社、1936年11月27日。NDLJP:1459549 
  • 『早稲田大学百年史』 第二巻、早稲田大学、1981年9月14日。 
  • 『早稲田大学百年史』 別巻Ⅱ、早稲田大学、1989年12月21日。