都 勝(と しょう、生年不詳 - 1499年)は、明代軍人本貫河間府寧津県

生涯 編集

南京羽林左衛指揮僉事の職を嗣いだ。成化初年、都指揮僉事の代行に抜擢された。倭寇に備えるため揚州府に駐屯し、塩徒の反乱を撃破した。1478年(成化14年)[1]、尹旻らに推挙されて参将となり、協同で運河交通の監督にあたった。陜西で飢饉が起こると、都勝は勅命を受けて米100万石を輸送し、振恤にあたった。1486年(成化22年)、王信が死去すると、都勝は都指揮使を代行し、王信に代わって総兵官をつとめた。1487年(成化23年)、中府都督僉事を代行した[2]弘治年間、都督僉事として南京前府の俸給も受けた。1499年(弘治12年)7月、死去した[3]

脚注 編集

  1. ^ 談遷国榷』巻38
  2. ^ 『国榷』巻41
  3. ^ 『国榷』巻44

参考文献 編集

  • 明史』巻166 列伝第54